秘妙五段
秘妙五段
ひみょうごだん
秘妙なる五段の祈祷法の意。
秘は秘密、秘要、秘奥の略。
妙は妙法蓮華経をさすと共に、不思議の境地をも意味するが、この場合、日蓮宗修法の深奥の五段加持祈祷をいう。
秘妙五段修練の加持などと称する。
五段とは、人の病悩あるいは障碍の原因となっている憑霊を五段階に大別する。
難治の病患の原因を探究して五段のいずれに属するかを解明し、得脱除去することは、修法上の秘鍵であり、古来秘妙五段として秘密相伝されてきた。
古来病気は身体的原因と、心気や霊障によるものとに分けて考えられた。
『富木入道殿御返事』にも、「夫れ人に二の病あり。
一には身の病、所謂地大百一・水大百一・火大百一・風大百一。
已上、四百四病也。
此病は設ひ仏に有らざれども之を治す。
(略)二には心の病、所謂三毒乃至八万四千の病也。
此病は二天・三仙・六師等も治し難し」(定一五一七-八頁)とある。
『法華験家訓蒙』には「病に十種あり。
肉病・心病・業病・試病・慈病・咒病・鬼病・魔病・神病・霊病なり。
後五種は加持祈祷によらざれば治し難し」としており、この後五種をまた分別して生霊段・死霊段・狐著段(鬼畜怨霊段)・疫神段(疫病段)・咒詛段の五段とし、その得脱退散、解決除去に数多の先師が修法力を傾注し秘伝を遺された。
加行所においても、この五段の邪気を得脱退散せしめるために厳しい日課勤経巻数が定められており、各秘伝書にも微細にわたりその判別解脱法が伝承されている。
(一)死霊段(死霊加持)=死霊とは死者の霊魂が人に執着して害をなすものをいう。
生前の怨念をそのまま死後も持ち続けて人に障るもの、事故殃死してその苦痛から得脱できず人に頼るもの、前世今世の悪業により六道を輪廻して成仏できないもの、供養乏しく冥界に迷うもの等千差万別であるが、古来無数の実例が文書口碑に残されている。
『回向功徳鈔』に「父母兄弟の死して候時、初七日と云ふ事をも知らず。
まして四十九日百箇日と云ふ事をも、一周忌と云ふ事をも、第三年と云ふ事をも知らず。
訪はざらん志の程浅猿(あさま)かるべし。
聖霊の苦患をたすけずんば不孝の罪深し。
悪霊と成てさまたげを成し候也」(定五四頁)とある。
昔から各宗各派が夫々の所依の経典や独特の形式をもって、死霊を断迷開悟させているが、施餓鬼などもその一法である。
霊障の中では比較的に解脱しやすいものとされているが、中には難治の死霊もあるので、死霊加持も十分に用心し、専心読経祈念すべしとされている。
死霊加持の一例を挙げれば、(1)死霊退散符、(2)勧請祈念、(3)読経(序品、方便品、提婆品、寿量品各三十三巻)、(4)祈祷修法、(5)死霊教化鈔、――以上一七日の死霊加持をする時は如何なる死霊も退散すべし――とある。
(二)生霊段(生霊加持)=生霊とは生きている人の怨霊。
怨念の至す所、その人が生存していながら悪霊となって他に祟りをなすものをいう。
多く貪慾瞋恚愚痴の三毒を因として発し、憎悪の念が昂じて生霊となる。
怨念の赴く所、咒詛と合体して著することがあるので注意すべしとある。
生霊加持としては、(1)生霊退散符、(2)勧請祈念、(3)読経、初日―寿量品三三巻、普門品三三巻、普門品偈一〇〇反、普賢品百反。
二日―寿量品三三巻、普門品五〇巻、祈祷肝文経一〇〇反。
三日―序品退坐一面迄五〇反、普門品偈一〇〇反、六番神咒五〇〇反。
四日―寿量品一〇〇巻、祈祷肝文経三三反。
五日―普門品一〇〇巻、祈祷肝文経三三反。
六日―普賢品一〇〇巻、祈祷肝文経三三反。
七日―寿量品三三巻、普門品三三巻、普賢品三三巻、六番神咒三〇〇反。
そして右初日から七日に到るまで、祈祷修法の終りには必ず『生霊教化鈔』を静かに読む。
読誦経文はあるいは助行者に代読させしめても必ず巻数を読了する。
これによっていかなる悪質の生霊も退散するという。
(三)野狐段(野狐加持)=鬼畜怨霊段、あるいは狐著段とも称する。
動物霊の憑著を総称する。
野狐はその性狡猾で人を騙惑すると信じられた。
野狐のみならず、鳥獣魚畜霊が人間を惑わし、または憑依して悩乱させた例は沢山あるが、特に野狐としたのは、その性狡猾で、俗間の稲荷―お狐さま信仰などと混淆したのであろうという。
また鬼畜怨霊とは、家畜や鳥獣の中で智覚あるものが、屠殺虐殺されてその怨念が人に祟りをなすもので、その病状は多く粗暴奇嬌の態を示すという。
この段の加持としては、(1)畜霊退散符、(2)勧請祈念、(3)読経、初日―寿量品三三巻、普門品三三巻、陀羅尼品三三巻。
二日―寿量品五〇巻、六番神咒六〇〇反。
三日―神力品三三巻、普門品三三巻、祈祷肝文経五六反。
四日―寿量品三三巻、題目(気力次第)。
五日―寿量品三三巻、陀羅尼品八〇巻。
六日―法華経三部。
七日―寿量品三三巻、神力品三三巻、普門品三三巻、六番神咒五〇反。
いずれも読経、祈祷修法の後に『鬼畜教化鈔』を必ず読み聞かせることとある。
(四)疫神段(疫神加持)=疫病段(疫病加持)ともいう。
疫神、疫病神、鬼魔邪神によって起きる病悩を滅除する修法加持。
疫病神には、鬼、魔、神の三種があると考えられた。
鬼には夜叉羅刹のように大威力を有するもの、餓鬼のように常に飢渇の苦を受けて人を悩乱せしめるもの等百千の別がある。
魔は梵語の魔羅Māraの略で、能奪命、障礙、擾乱、破壊と訳す。
欲界の第六天の魔王を上主とし、その眷属が魔民魔人であり、これも百千の種別がある。
魔は鬼よりも悪質であり、鬼はただ身を病まし、身を殺す。
魔は即ち観心を破し、法身の恵命を破し、邪(よこしま)の念想を起し、人の功徳を奪う作用をする(啓運鈔)という。
神病とは悪神の障りをいい、神道の曲津神、仏教の天部に属する(天龍八部衆等)悪神による疾病をさす。
『日女御前御返事』に、「下品の鬼神は糞等を食し、中品の鬼神は骨等を食す。
上品の鬼神は精気を食す。
(略)今日本国の去年今年の大疫病は何とか心うべき。
此を答ふべき様は一には善鬼也。
梵王・帝釈・日月・四天の許されありて法華経の怨を食す。
二には悪鬼が第六天の魔王のすゝめによりて法華経を修行する人を食す」(定一五一〇頁)とあり、また『種種御振舞御書』に、「法華経を持つ者は必ず成仏し候。
故に第六天の魔王と申す三界の主、此経を持つ人をば強(あながち)に嫉み候也。
此魔王、疫病の神の目にも見えずして人に付き候やうに、(略)国主・父母・妻子に付きて法華経の行者を嫉むべしと見えて候」(定九八五-六頁)とある。
古相伝書による疫神加持としては、(1)疫神退散符、(2)勧請祈念、(3)読経、初日―方便品世雄偈迄一三反、寿量品六巻、六番神咒六〇〇反。
二日―普門品五〇巻、陀羅尼品三三巻。
三日―祈祷肝文経三三巻、普賢咒八〇〇反、題目三〇〇〇反。
四日―寿量品三三巻、神力品三三巻、薬王品(または普門品)三三巻。
五日―陀羅尼品一〇〇巻。
以上の修法にて疫神は必ず退散す。
更には死霊の法に順じて神立祈念、施餓鬼法要を修するも可。
何れも祈祷修法の始めに符を与え、病者にも題目を唱えさせ、最後には必ず『疫神教化鈔』を誦すべし―とある。
(五)咒詛段(咒詛還加持)=秘密の法、または経文等によって他人を害せんとのろうを咒詛という。
単に恨むだけなら生霊であるが、咒詛調伏を業とする者に頼み、あるいは悪鬼邪神を勧請して人を害しようとすれば咒詛となる。
更に敵国降伏や政権の衰退を願って大掛りな咒詛を行う場合もある。
これらの咒詛を消滅退散せしめる修法加持であるから、咒詛還加持という。
咒詛還加持にも種々の方法があるが、咒詛の発願人と、その依頼を受けた行者、神霊等を明確にし、妙法経力により転我邪心せしめることが肝要である。
咒詛還加持は、(1)咒詛消滅符、(2)勧請祈念、(3)読経(生霊段に準ずる)、(4)咒詛教化鈔の順で行う。
以上の五段の教化に当っては、何れも修法師は祈祷中は結伽趺座して余事を雑えず、起たず語らず一心に読経加持し、大慈悲心を発起して仏天に加護を祈る。
更に加持中は助行その他の者を去らしめ、懇ろに病者の懺悔を聞き、聞き終ってはその父母兄弟妻子にも決して他言せず、そして託者には三世因果の道理と、大聖人の法語を転教し、即身成仏の大果報を得せしめんと祈念すべし、敢て忘失することなかれ―ときびしく戒めている。
これを要するに、日蓮宗の修法に任ずる者は、いかなる難治難解の憑依でも、法華秘妙の経力により必ず得脱成仏させるよう大勇猛心をもって加持祈念すべきである。
《『祈祷指南書』、『法華験家訓蒙』、『修験故事便覧』》