元政(日政)【歴史】
元政(日政)【歴史】
げんせい
(一六二三-六八)
江戸時代初期の宗門を代表する高僧。
京都市伏見区深草の瑞光寺の開山で、法華律を唱導。
日政と号し、妙子・不可思議・泰堂・霞谷山人・称心庵・埜処軒とも称した。
京都深草に住したところから、深草(草山)の元政、艸(草)山和尚と呼ばれている。
日蓮宗の宗学者、教育者として大きな功績を遺しているが、当代一流の詩人・文人としても著名である。
元和九年二月、元毛利輝元の家臣・石井元好の五男として京都に生れ、幼名を源八郎という。
長兄元秀は彦根城主・井伊直孝に仕え、長姉春光院は直孝の側室であった。
元政は一三歳でこの井伊直孝に仕え近侍を務める。
生来読書を好み、文を習い、和漢の学に天稟の才を発揮して、その聡明さを衆人から称えられている。
一九歳で主君に従い江戸に出たが病を患って京に帰り、母と共に和泉国和泉郡和気(和泉市和気町)の妙泉寺に詣で、祖師の像を拝して三願を立てた。
(一)出家せん。
(二)父母に孝養をつくさん。
(三)天台三大部を読了せん。
この年、泉涌寺の如周律師の法華経講義を聴聞し、出家の決意を固めた。
その後数年は井伊家に仕えたが、二六歳の時に辞して妙顕寺一四世僧那日豊の門に投じて髪を剃った。
日豊は心性日遠の高弟で日重・日乾・日遠亡き後、受不施一致派の最高の指導者であった。
日豊による重・乾・遠三師の教学を通して日蓮聖人の思想に参入すると、深く信心に徹して清浄な僧儀を堅持し、数年でその才名と道誉は洛中に響きわたり、教えを請う者が次々と門を叩いた。
明暦元年(一六五五)三三歳の時、師日豊が池上本門寺に晋山し、これを機に洛南深草に称心庵を結んで隠棲した。
しかし元政を慕って集う求道者は続き、深草に唱題読経の声が溢ふれた。
そこで元政は門下の子弟のために『草山要路』一巻を著して、行学の指針、出世の要旨を述べ、草山の求道者の道標とした。
ここに草山派と呼ばれる独特な一門の流れが生じ、後に「草山教学」と呼称される教風が起こった。
元政はこの草山で自ら信行に励むと共に、著作、詩文を多くものにし、著名な文人墨客と交遊して宗内外の碩学と道交を結んだ。
三六歳で父を送り、翌年母と共に父の遺骨を奉じて身延に詣で池上を訪れた。
この旅行記が『身延道の記』で元和上皇から嘉賞せられた名文の書である。
またこの旅で、明の文人・陳元贇(ちんげんぴん)と知り合い、生涯の知己を得たのである。
元政・元贇二人の交わした詩文を集めたのが『元々唱和集』である。
寛文元年(一六六一)称心庵の仏堂が完成し、中正院日護作の釈尊像を安置して瑞光寺と改めた。
同年、瑞光寺のそばに養寿庵を設け、母をここに住まわして孝養を尽くした。
元政の孝心は世上有名なもので、古人の句にも「元政の母のあんまやきりぎりす」とうたわれるほどである。
その母妙種は寛文七年八七歳の長命をもち逝去した。
父は七九歳、母は八七歳の長寿で、孝養を尽くし、元政の青年時の三願をすべて成就している。
元政は生涯多病であり、深草にあっても度々療養に出かけている。
母を送った年、また病を発し翌寛文八年正月末、自らの寿命を悟って帰山。
二月一五日、弟子慧明院日燈に大法付嘱の曼荼羅を授けて後事を託し、一八日世寿四六歳をもって遷化した。
遺命により称心庵の南方に葬り竹三竿をもって墓標とした。
元政は深草に法華律の法灯を掲げ、三学(戒・定・慧)分修を実践して僧道の復興を図り、近世に至って堕落しだした宗門に信行重視の警笛をならして清浄な教風を樹立した。
法華律とは元政の堅持した菩薩戒であるが、草山律と呼ばれるように元政とその一門の独自な行儀である。
一方、本化律とも呼ばれるように戒律のための戒律ではなく、本化の門下の清規をめざしている。
この元政の法華葎の理念は前の『草山要路』に、具体的な規律は弟子日燈のまとめた『草山清規』に詳述されている。
法華律と共に草山教学の特徴はその摂受主義にある。
内省派と位置付けられるように、元政は折伏諫暁や不受不施の問題には超然とした態度をとって、自らの内面の信心をのみ凝視した。
「高祖師を師とすと雖も、心を師として、跡を師とせず」(『草山集』一四)と述べて「化他の急ならざることを患へず、智徳の身に聚らざることを患ふ」とまず本化の内法相続の自行をめざしている。
これに対して当時から現在に至るまで、聖人の折伏実践を無視するものとの批判があるが、常在院日深は聖人を「草創の時、逆化折伏」、元政を「守文の時、摂受安楽行」と弁護(『峨眉集遺編』)している。
また、本妙院日臨は草山の意を表具の裏打にたとえて、宗門の内法事観の妙処を継承すべく、一応化他を随力演説に任すと釈明している(「某尊者に上る書」)。
この草山の摂受主義は、教学の特徴である観心主義と共に検討を要する課題となっている。
なお、元政の詩文は性情の霊妙な活用を尊び、達意を主として格律や修辞を重んじない性霊派(しようりようは)に属するもので、元贇によって知った明の衰中郎(えんちゅ、うろう)(性霊派の詩人)に傾倒し、日本に衰中郎を紹介した最初の人とされる。
また元政は国文学にも造詣深く『日本書紀』『源氏物語』は特に一家の見を成し、専門の国文学者北村季吟らに『源氏』の講義をしている。
和歌もよくし、「心情を重んじて偽飾を捨て、志を述るのみ」(『草山集』二七)という信念から折節心情を吐露して『草山和歌集』一巻が残されている。
元政の人格と思想は以後の宗門に大きな影響を与え、日蓮宗の倫理的軌範として常に語り継がれてきたが、近世初頭の日蓮宗の宗風転換の時代が生んだ象徴的人物といえないこともない。
主な弟子に慧明日燈・慈忍日孝・宜翁日可・慈観日静・慈航日津らがいた。
その著述はすこぶる多く、主なものは『草山集』三〇巻に収録されている。
その他『龍華歴代師承伝』『題目和談抄』『如来秘蔵録』『小止観抄』等がある。
近年梅本正雄によって『草山拾遺』二巻に収められている。
《本満寺発行『草山集』、『草山拾遺』、六牙日潮『本化別頭仏祖統紀』、西村慈珖「教理史上に於ける元政上人」『大崎学報』二一・二二・二四号、望月歓厚『日蓮宗学説史』、宮崎英修『日蓮宗の人びと』、『日蓮辞典』『日本仏教人名辞典』『国史大辞典』五巻「元政」の項、浜島典彦『お題目と歩く―近世・近現代法華信仰者群像』》
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