妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

元政上人の弁

げんせいしょうにんのべん #680

元政上人の弁

げんせいしょうにんのべん

繰り弁の一つ。
万治元年(一六五八)一二月一八日、深草元政の父・道種元好翁は七九歳の高齢をもって、養寿庵(深草)で逝去した。 そのときの元政の悲嘆は言語に絶したものであった。
いまそれを小祥忌祭文の一部を引用してうかがうと「嗚呼、吾を生む者は父、我をふる者は父、吾を仕へしめ吾を止むるも皆我が父なり。(略)至哀は文なし、望々として涕を攬る」云々。 に元政三六歳であった。
翌万治二年八月一三日、父の遺骨を首に、七九歳の老母に従って身延山へ登拝した。
聖人の尊像に拝跪して「一たび延山に上って心愈々悲し、倶に末法に生れて師に遭はず、手頂礼す影堂の下、涙尼壇を湿して起たんと欲して遅し」と感慨を述べ、真骨堂に詣でては「何ゆへに砕きし骨の名残ぞと思へば袖に玉ぞ散りける」と詠じた。
思親閣に詣でて、自身得度の折の髪の毛を埋めた。
このあたりの蹟を中心にして、古来、元政の孝養を説いて、信者の共感に訴えた。

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