文書伝道
文書伝道
ぶんしょでんどう
文書をもって布教する伝道方法をいう。
口説伝道、視聴覚伝道等と共に重要且広範にわたる伝道方法であって布教師として文書を通さずして伝道布教することは、広義ではあり得ないので、その意味では凡そ布教師たるもの総て何らかのかたちで文書伝道を行っているといえよう。
日蓮聖人が多くの弟子檀越に与えられたおびただしい数に及ぶ消息類は、いずれも単なる消息を伝えたり進物に対する礼状のみに止まらず、必ず法華経弘通の精神を相手の機根に応じて説き明かしている。
対告衆が一人であっても複数の人であっても、文書は相手の特定人だけでなく周囲の有縁の人も見るし、また後世いつの時代でも読む縁に結ばれる。
日蓮聖人及び在世滅後の弟子先師先聖先哲等いずれも檀越信徒またはその他の人々に与えた消息文や消息文に限らず文書をもって布教伝道の気迫に満ちた著作は広い意味では立派な文書伝道といえよう。
印刷術が発達して同文多数の文書を容易に配布できるようになって、文書伝道は急速に活発化した。
身延山を始め諸山諸寺の布教師はこぞって伝道紙あるいは伝道冊誌を発行した。
明冶二八年(一八九五)の頃身延山内の丸山海昇・望月寛逸・小松諦照・下里是察らは身延山青年布教団を組織して布教誌『法の光』を発行した。
年四-五回、十数年続いたが、明冶四二年、柴田顗秀が編集・発行を引受け、『法の光』を『天鼓』と改題して月刊誌二五〇〇部印刷した。
当時すでに藤田東撰が編集していた『教友雑誌』もこれに合流し読者が増大した。
大正一〇年(一九二一)この『天鼓』は下里是察によって『身延教報』と改題創刊した。
この『身延教報』は従来の論説主体の内容から脱皮して身延山直営機関布教誌となり、久遠寺の広報機関誌としての面も拡大していった。
たまたま昭和二年(一九二七)あたかも数年後に控えた六五〇遠忌広報の必要上、本誌は遠忌宣伝機関誌として重大な使命を負うようになった。
正当の昭和五-六年には遠忌報恩の事業として本誌を僧俗両者に無代配布を行った。
この『身延教報』は、戦後昭和二四年『みのぶ』と改題され、発行所は戦前から引続いて久遠寺内に置かれた身延教報社が岩間湛良・望月海淑らの編集により行われ、現在に至っている。
これよりさき昭和二年、六五〇遠忌報恩の機運を挙宗一致、宗門総動員をもって昂揚せしめるべく、第二一宗会において教誌『日蓮主義』を創刊し、全国寺院檀信徒に配布した。
時の教学部長・加藤文雅は「文書伝道につき寸言」と題する檄文を寺院住職並びに教会所担任教師に発し、大いに宗門意識を喚起せしめた。
曰く「教誌を普及することは勿論宗門人全部の責任である。
同時に教誌を作製することも宗門人全体の責任である。
凡て筆を持つものは、皆奮って起たねばならない。
此の重大なる意義を有する弘通の為の教誌を光飾し霊力あらしむべく、宗門人は挙って大に筆を振わねばならない。
わが教誌は少数の人だけの教担であってはならない。
磨け! 宗門人の筆の剣を!」もって宗務当局の烈迫の覇気を感じる。
創刊当時の教誌『日蓮主義』は四六版、一五〇頁。
管長・酒井日慎の巻頭法語に続いて本田穆堂、繁宮久遠、結城素明ら日本画壇の諸大家による極彩色金銀粉使用の聖伝画譜が折込み挿入された。
篤信徒の中には毎号この画譜のみを集めて額に掲げたり、屏風に貼布して仏間を日蓮聖人鑽仰の美術室としたものもいたという。
なお宗門ニュース写真を豊富に掲載して全国の寺院檀信徒が宗門の動向を常に察知せしめ関心を強く寄せていった。
本文読物も磯村野風、山崎紫紅、笹川臨風、山上ゝ泉ら一流の学者作家によって内容きわめて充実したものであった。
この教誌は戦争の激化に伴い次第に減頁し、版こそ菊版に拡大されたが、遂には一六頁建の薄い冊誌となってやがて廃刊された。
教誌に代って宗門文書伝道機関紙として戦後創刊された「日蓮宗新聞」は、月三回発行、宗門ニュースは勿論、布教教化面において新聞の機能を大いに発揮し、寺院教会檀信徒の購読者は逐年増加しつつある。
また教化内容を一層充実した教誌の創刊を要望する声が漸く高まった昭和四七年に『正法』が新生の教誌として「日蓮宗新聞」と併行して宗務院より創刊された。発刊当初は年二回発行され、毎号特集記事を設け、有名人と宗務当局との対談その他従来の教誌に見られなかったユニークな雑誌として宗門内外に多くの読者を獲得しつつある。昭和五三年(一九七八)一三号から年三回発行となり、平成一〇年(一九九八)七五号から年四回の発行となっている。
これらと共に宗門挙宗の護法運動が展開されその都度、教務部、伝道部より寺院向檀信徒向、一般向の教箋、パンフレット、リーフレット、ポスター、ステッカー等、機に応じ時に適したおびただしい数の出版物が配布されている。
特に日蓮聖人第七〇〇遠忌奉行会(小林栄雄のち、持田貫宣事務局長)が設置されて以来、文書伝道を通じての弘報活動は急激に活発化した。
このように中央より全国各寺院に配布される出版物に対して、諸本山を始め、各寺院独自のまたは複数寺院合同の文書伝道もまた活発に展開されている。
しかしそれらを総合収集する機関が確立していないために各地区において単独に文書伝道を行っている情勢を把握することが極めて困難な現状であって、宗門内における文書伝道資料の完全収集の機関を一日も早く確立せしめ、同時に布教師間文書伝道資料の交流を図りたいと念願する。
現在、宗務院内、現代宗教研究所(中濃教篤のち中野文海所長)資料室に保管されている関係資料は次の如くであるが、この資料は全体からすれば極めて僅かのものに過ぎず、散逸して収集不可能。
多くの隠れた文書伝道布教師が活躍しているものと確信する。
近い将来、新進気鋭の布教師が多数輩出することをもって、文書伝道による宗門教化活動の根幹たらしめるものとして強く望む。
ここに代表的なものを一部紹介する。
(一)、雑誌・含パンフレット(表題・発行所・編集者の順)=
『みのぶ』身延教報社、岩間湛良。
『池上』池上本門寺、酒井謙祐。
『柴又』帝釈天題経寺、大神達夫。
『光明』山梨県富士川町昌福寺光明苑、岩間湛良。
『求道』東京都練馬区釈迦本寺求道同願会、権藤泰隆。
『法華』東京都品川区法華会、春日屋伸昌。
『ともしび』京都市桃山真福寺、石川県小松市真福寺。
『ろおたす』神戸市妙法華院、新間智照。
『仏子』宮城県白石市妙見寺仏子会、風間円静。
『霊仙』静岡市安立寺、上田栄寿。
『妙音寺たより』東京都妙音寺、岡崎英雄。
『同信』彦根市蓮成寺同信会、北川即正。
『いのり』京都市法華倶楽部、小島五十人。
『唱導の友』京都市桃山真福寺、新林錬昭。
『ひかり(妙光)』名古屋市本遠寺妙光青年会、伊藤友情。
『一法』広島市妙風寺白法会、渡部公裕。
『かがやき』西宮市浄願寺、富田栄妙。
『本竜寺瑞玄寺教報』札幌市本竜寺瑞玄寺、伊藤日瑞。
『いのち』大阪府能勢法華寺他数カ寺毒鼓会、高見随秀。
『み仏とわたし』東京都江戸川区妙勝寺、杉並区本仏寺他数ヵ寺、渡辺清明、石川康明ら。
『教化シリーズ・日蓮宗のおしえ』東京都江戸川区宣要寺布教部、成川文雅。
『たちばな』岡山市妙広寺、都守健二。現在、京都市妙覚寺、及川真学。
『法輪を転ず』熊本県日蓮宗青年会。
『な-む(水声改題)』東京都池上実相寺水書房、酒井謙祐。
『仏心』山梨県日蓮宗青年会。
『こびらた』島根県平田市(現・出雲市)古平田寺、錦織義宣。
(二)、新聞=
『菩提樹』青森県弘前市法立寺、小野正光。
『心の宝』茅ケ崎市妙伝寺、石井錬昭。
『求道』弘前市本迹院、最上良純。
『法鼓』彦根市蓮華寺、伊藤慈雄。
『一乗寺新聞』静岡県富士市一乗寺、杉田湛正。
『絲信』埼玉県川越市本応寺、星光喩。
『宝珠』山梨県定林寺、功力貞如。
『ともしび』青森県弘法寺、三浦泰静。
『晴明』東京都練馬区大乗院、戸田浩暁。
『大乗月報』堺市本成寺、野村貞康。
『広布』京都市妙徳寺、原田憲雄、『法楽』堺市妙法寺、八田行誠。
『法華寺報』静岡県原町法華寺、高田恵尚。
『れんげ』広島市妙頂寺、頂岳竜兼他。
『たちばな』静岡県由比町本光寺、大石純厚。
『寺だより』愛知県稲沢市西林寺、長谷川正浩、『久昌三昧』茨城県・本山久昌寺、石川泰道。
(三)、はがき伝道=
北海道美幌町本妙寺、岡元錬城。
函館市本行寺、原顕彰。
秋田市本善寺、小川順道。
秋田県角館町学法寺、平元義雄。
市川市弘法寺、鈴木恵隆。
静岡県三島市伊豆国分寺、高木錬精。
静岡市清水区本能寺、中条暁存。
名古屋市常唱寺、早坂鳳静。
愛知県津島市妙延寺、太田鳳苑。
奈良県桜井市妙要寺、大島鳳静。
長崎県大村市本経寺、佐古亮尊。
岡山市蓮昌寺、八木大慈。
三重県桑名市寿量寺、浜島典彦。
(四)、掲示 各寺院掲示。
(上田鷹堂)