護法運動
護法運動
ごほううんどう
複雑化し激動する現代社会の中で宗徒の正法護持の信念を確立し立正安国の宗風を興隆させる宗門の恒常的運動が護法運動である。
第二次世界大戦後、宗門は漸次敗戦の精神的・物質的打撃から回復したが、戦後社会の争速な変化発展に対応する教勢の振起には、伝統教団の通弊である葬祭と現証利益偏重の退嬰的姿勢とようやく顕著となった寺院私有化・分散化の傾向を打破する僧俗一体の宗風高揚が強く望まれるようになった。
昭和三九年(一九六四)金子日威宗務総長は第一四宗会に宗門の既成教団として現実社会に働きかける迫真性の欠除を訴え「宗徒総決起大会」を提唱し全国各地に大会を開いて宗門意識高揚をよびかけた。
これを継承した片山日幹宗務総長はこれが大会のみに終るべきでないとして、これを契機に護法会結成を提起したが、宗内には既に各種の組織が存在し、更に護持会結成が進められていることを考え合せて、昭和四〇年第一七宗会で設置された護法会制度調査委員会は一年間の調査検討を経て、むしろ既存の宗内諸組織をゆり動かし、これを一丸とした全宗門の組織強化・伝道信行活発化の運動とすべきことを答申し、翌年第一八宗会において「護法運動本部規程」及び「護法基金規程」が制定され、宗務院に護法運動本部と僧俗による護法委員会が、各宗務所に護法事務局が置かれ、内に新たに作成された『宗義大綱』(及び解説)に基づく統一した正法堅持の宗門を護持し、外に正法を歪曲する邪教を破斥する正法宣布の護法運動を展開することになった。
そして四一年に始まる第一次三ヵ年計画において趣旨徹底がはかられ、四四年を第一年度とする第二次三ヵ年計画にのっとって、四六年の日蓮聖人降誕七五〇年に向けて運動の大きな高揚をみた。
そしてこの中から、現代の砂粒のように孤立させられた人々に人間性を回復し、仏子としての自覚向上を促すにはまず宗徒の一致した信仰確立の信行の実施が必要であることから、昭和四六年就任した渡部公允宗務総長によって「護法統一信行」が提唱され、全国にその活動が展開されている。
その後、宗務院の機構改正にともない、護法伝道部が設置され、「護法運動本部規程」は廃止された。
しかし護法委員会は護法伝道委員会となり、護法運動及び伝道の企画を立案し、統一信行の推進をはかることになった。
更に運動の趣旨徹底、統一信行指導等のため宗務院に護法講師団が設けられ、宗務所には護法事務長が置かれて、管区における護法運動の推進を強化した。
護法基金は五〇〇〇万円という目標額をかかげ、昭和四一年より勧募を始め、同五〇年に達成した。
その果実(利子)は宗門の経常部予算へ組入れて、所期の目的のために活用された。
同五二年七月、日蓮宗布教助成会が復活し、総合財団として発足するに及び、護法基金はその中に吸収され、布教伝道全般に活用されることとなり、「護法規程」は廃止された。