妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

加藤文雅

かとうぶんが #869

加藤文雅

かとうぶんが

(一八六七-一九一二)
中王院日淵。 雅号は白渓。
慶応三年一月三日、武蔵荏原郡馬込村(東京都大田区馬込)河原家に生れ、二本榎の大教院において新居日薩の薫陶を受けた。
同門に守本文静(一八五四-一九〇八)、脇田堯惇(一八六〇-一九二八)、清水梁山(一八六五-一九二八)らがあった。
明治二〇年代における欧米文化の流入や粋主義の興隆のなかで、加藤文雅は精力的にキリストの侵入に対抗した。
明治二四年(一八九一)には協同破耶演会を開いており、すぐれた弁説をもって、キリストのみでなく、浄土等の破折にも挺身した。
また「日宗新報」を刊行し、開宗六五〇年記念に『縮刷遺文』(『日蓮聖人御遺文』)を編纂(明治三七年)し、界における基礎的な績をうち立てた。 本書は戦前における宗祖遺文の基本文献として高く評価された。
更に風淵静・小笠原日毅・稲田海素らの助力を得て『註法華経』『御義口伝』『日向記』の出版を企てたが、その途上、明治四五年五月二七日、四六歳にして遷化。
『註法華経』の刊行は、その子息、文雄(二本榎承寺)・文渕(池上林昌寺)が師父の志を継ぎ、祖滅六五〇遠忌の記念としてこれを大成した。

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