妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

七百遠忌

ななひゃくおんき #88

七百遠忌

ななひゃくおんき

日蓮聖人が入滅された弘安五年(一二八二)より教えて七〇〇年目に当る昭和五六年(一九八一)に日蓮聖人報恩会式を修すこと。
また、この年を中心に日蓮聖人報恩の誠を捧げる種々な行事・事業を営むと同時に、日蓮聖人のしるされた報恩の生涯と教えを弘め日常生活の明鏡・指針として報恩えを体得すること。
日蓮宗では祖廟の霊地身延山、入滅の聖地・池上本門寺を始めすべての寺院・教会・結社において報恩会式並びに報恩の教化活動、寺観整備、集会、団参などを営み、七〇〇遠忌の画期的な意義を明らかにし知恩報恩の誓いを新たにした。
日蓮宗は全宗門あげて報恩奉行に取組み、事業・行事・教宣活動の三部門を中核に七〇〇遠忌報恩の運動を全国的に展開、昭和五一年四月に「日蓮聖人第七百遠忌報恩奉行会」及び遠忌事務局を設置して、およそ七年間にわたる遠忌奉行を推進、三部門を中心とする報恩奉行会予算は総額二二億七〇〇〇万円余が計上され、これに全国寺院で営まれた行などの総額を含めると一〇〇億円を超過する宗門史上最大の予算規模に達する。
報恩奉行三部門のうち事業部門では、まず「日蓮宗綜合財団」が設立された。
これは宗門福祉共済、海外布教の振興、布教伝道活動への助成、育英事業、社会教化事業の育成などを主軸に出版、収益への助成を抱括することを目的に設立されたもの。
この綜合財団設立と並んで各種出版業に取組んだ点が特徴で『日蓮宗事典』『近代日蓮宗年表』『日蓮宗新聞縮刷版』及び『七百遠忌記念紀要』の刊行が掲げられる。
日蓮宗事典』は日蓮宗で最初の総合事典であり、その内容は本書に見るごとく教学、歴史、文学、法式、組織・機構、修法、書・画・建築、布教・社教の八部門にわたり約六〇〇〇余の解説語彙が収められている。
執筆者は約二〇〇名で刊行委員会、編集委員会、編集室を中心に作成作がなされた。
また日蓮宗に関するすべての項が網羅され、画期的な基本文献として大きな意味を持っている。
『近代日蓮宗年表』は、近代における日蓮宗の足跡を一般社会の動向と関連づけながら布教活動・宗門活動の内容を明らかにしたもので、近代日蓮宗門史を集成した意義を有する。
近代史の歩みのほか日蓮聖人略年表、近世までの略年表並びに年譜などを八○○頁に収め、現代宗教研究所を中心に編集された。
日蓮宗新聞縮刷版』は、昭和三〇年一〇月一日に「護持教報」から「日蓮宗新聞」の名で刊行された第一号より八○○号を発行した昭和五〇年一二月までを収録したもの。
『紀要』は七〇〇遠忌奉行の全体をまとめた資料・記録として刊行するもの。
この他、池上本門寺では『日蓮宗寺院大鑑』『池上本門寺百年史』、中山法華経寺でも『中山法華経寺史』を、立正大学日蓮教学研究所では『日蓮聖人遺文辞典』の刊行に取組むなど日蓮宗内外において多種多彩な遠忌記念出版の作が展開された。

このうち遠忌務局を中心に一般大衆向けの教箋が次々に発行された点も特徴として掲げられ「七百遠忌早わかり」「報恩のすすめ」「光のメッセージ」などの遠忌シリーズが出された。
また写真集『日蓮聖人―その壮烈な生涯と思想』は日蓮聖人のすべてを綴る豪華で豊富な写真・図録によって構成され、庶民の中に生きる日蓮聖人日蓮宗の姿を鮮明に浮きぼりにしたものとして好評を博した。
更に『日蓮聖人名言集』『白亀の報恩―日蓮さまの報恩ものがたり』なども刊行され、日蓮聖人の偉業とこれを継承した日蓮宗の足跡が宗門内外にわたって顕彰された。また、宗門人として研究者としての記念出版も数多く出版された。
また業部門として建設の計画が具体化された。
日蓮宗会館(宿泊施設の完備、教化センター、資料室、会議室などの設置)設立構想を目標に日蓮宗宗務院庁舎の整備拡充が図られ、庁舎の拡充整備は行われたが会館の設立には至らなかった。
更に沖縄布教所が建設された。これは本土復帰後に数度にわたって行われた沖縄伝道、慰霊行脚、布教調査の成果に立って沖縄開教と布教振興の拠点設置をめざしたもの。
この他、立正大学仏教学部、身延山短期大学、立正育英会、専修道場建設、日蓮聖人遺文辞典への助成が法器育成、学振興の目的のもとでなされた。
更に御真骨奉遷に関する協議連絡が図られた。

部門においては、日蓮宗主催の報恩奉行中央大会を昭和五六年六月五日に僧侶に率いられた檀信徒約一万名を集めて東京武道館で開催するため準備がすすめられ、更に前年から日蓮宗各宗務区を単位に宗務所を中心に全住職教師が参画した地方大会を開くため僧俗一体となって異体同心広宣流布の願いを高めている。
また池上本門寺において報恩会式が修されたのを始め各地の寺院で荘厳裡に営まれた。
更にこれに先立って昭和五四年一〇月には「身延から池上へ」という日蓮聖人の歩みに擬して身延山において「第一二回中央教化研究会議―身延教師結集大会」が開催され、祖廟に報恩の誓いを新たにし伝道教団づくりをめざし報恩の教化活動を展開することを決めた唯一の僧侶結集も営まれた。
宣活動部門においては、特別布教として遠忌特派布教が実施された。
これは知恩報恩の教えを宣布し「道はひとすじ七百遠忌」の声を高め「合掌で光を」のスローガンのもとに全国各地に布教活動を推進することを趣旨としたもので、報恩法要・遠忌特派布教・唱題修行を中心に、昭和五一年度から趣旨徹底の年、報恩思想普及の年、教線拡張の年、宗徒総決起の年、報恩報謝の年、宗門意識高揚の年を順次設定しつつ特派布教師、遠忌布教師などによって推進された。
これと併行して「日蓮宗新聞」遠忌特集号の発行、それに遠忌ポスター、視聴覚、各種教箋「日蓮聖人のおことば」などが次々と作成配布され、シンボルカラーの“オレンジ”を色調に日蓮宗伝統的で明るく新鮮なイメージを訴えた。
更に日蓮聖人門下連合会との共同記念事業は音楽・演劇・展覧会の三部門にわたって推進される。
昭和五四年からまず前進座による日蓮聖人劇が各地で公演され、日蓮聖人に扮した嵐圭史の熱演とあいまって好評を得た。
更に音楽部門では「オラトリオ(聖譚曲)日蓮」が西川満作詩、黛敏郎作曲にて発表される予定であり、次いで日蓮聖人展が全主要都市にて開催されようとしている。
またこれと併行して永田雅一プロダクシヨン、松竹製作の映画「日蓮」が全国の映画館で上演され、遠忌盛上げにそれぞれ寄与した。

これらの七〇〇遠忌報恩奉行の基本姿勢は「全宗門心を同うして祖廟帰一を広宣流布の原統として時代適応の教化を盛んにし更に学を興し法器を育成し宗風教光を振作せん」(昭和五一年五月の「教旨」)「遠忌報恩行事および記念事業をして最大の意義あらしめんがため、大聖釈尊出世の本懐を宣揚し、高祖大聖人の聖旨を広布せずんばあるべからず」(同前「諭達」)と示されている。
これをうけて「日蓮聖人七百遠忌特別布教方針」は「本宗教師は全力をあげて御遠忌と、それを目標とする報恩のための布教活動に献身しなければならない。我等のとるべき報恩のための布教活動への姿勢は、末法濁世における法華経の行者としての宗祖の御生涯を、あらためて一層強く現代社会に活すことにある。この布教の展開こそ、真に祖恩に報謝し奉ることに他ならない。かかる御遠忌布教は、来るべき一九八○年代という二一世紀を目睫にした、新たな段階における布教実践への第一歩であると同時に、それは何よりも七〇年代の特別布教活動の成果を土台としたものでなければならない」と提示している。
また同布教方針は「特別布教心得」として次のような基本認識と布教姿勢を明らかにしている。「教旨・諭達の通り激動する一九七〇年代は、一時的高度成長の繁栄の底に逐次押し寄せて来た内外の世情昏迷のうち経済的不況や公害、政治不信等による社会不安の中にあって人心はいよいよ荒廃している事、しかもこの虚脱を襲って邪教悪法巷に蔓延し、一般大衆は正邪に迷い、思想の混乱甚しい現状である事を充分把握すべきである。従って、かかる“末法混乱”の時に於て、やがて御遠忌の聖年を迎えることは、むしろ歴史的必然性と受けとめ、この時にこそ、教師自ら宗祖に直参し宗祖の弟子として、真の法華経の恩徳と仏恩を要諦とした“報恩精神”を社会的にも個人的にも弘布し“不知恩”ともいうべき世間の姿を改めさせ、“立正安国””土顕現”に懸命の精進をしなければならない。」 こうした布教方針に基づく成果としては海外布教の推進が掲げられる。
昭和五四年五月-六月、日蓮宗のブラジル開教二五周年を記念して行われた「管長親教訪伯団」(一行四五名)は、南米開教二五周年記念式典及びブラジル開拓先亡慰霊法要、宗祖七〇〇遠忌報恩大法要を修し、更にブラジル開教布教線拡張のための拠点「南米別院信徒会館」設立資金を助成した。
また北米・ハワイの海外布教にも力を注ぎ『信行必携』の英訳出版などに引続き、同五四年八月-九月には最初の護法統一信行を実施するなど海外開を推進した。
一方、内における都市化現象に対応した「内開教」の課題と遠忌報恩の精神を現代社会の現実に活かす教化の方策について真正面から取上げてきた「教化研究会議」は、いち早く〈報恩のための教化活動〉を主テーマに日蓮聖人の報恩の教えと一生に導かれつつ、その教えを現代生活に具体化する教化の内容方法を検討、教義の現代化、平易化、人材教育の推進、教化中心の教団体制、立正安国報恩実践をめざす教師の連帯、報恩生活を営む平易な指針、法話の内容、資料材の作成に取組んだ。
また現代宗教研究所は、研究誌『現代宗教研究』に〈恩の構造〉を発表、日蓮聖人の報恩観とその歴史的展開を明らかにし、教化研究会議に提出して理念的面の重要性をよびかけ、特別布教教案と遠忌布教義的裏付けを提示した。
更に社会的な布教実践の面では先述の多彩な出版、演劇などの事業、中央・地方大会などに加えて、日蓮宗青年会によって全国各地で全国縦断「唱題行脚」が繰広げられ、各地域の諸問題を取上げつつ津々浦々に撃鼓宣令し、唱題する日蓮宗の姿を行脚という自行化他の修行方式によって示した。
これらの一連の動向と関連して、七〇〇遠忌を基点とするポスト遠忌における日蓮宗の在り方も検討され、一九八○年代の現代社会に適応した教化本位の近代的な伝道教団にむけて再編強化していく課題も追求されるなど、信仰・教化・行事・事業に及ぶ多面的な遠忌報恩の一大活動は〈法華経と日蓮聖人への帰命〉を原点としつつ、新たな日蓮宗の再生をめざす「歴史的必然」を有するに至った。
七〇〇遠忌報恩奉行は、日蓮宗の宗門史に記念すべき足跡をしるす活動であると同時に、将来の日蓮宗を決定づける試金石であり跳躍台であり、同時に法華経と日蓮聖人の教えを現代社会に活かす日蓮宗の意義と役割を再確認し実践化していく記念塔としての歴史的意味を刻みつけるもの、ということができる。
(小林栄雄)

← 事典トップ