音楽
音楽
おんがく
日蓮宗の音楽は、古くは舞楽より始まる。
舞楽は弘安四年(一二八一)一〇月身延草庵改築落慶に当り「延年の舞」を行った事が注目される。
『身延山史』によれば楽人四〇人が諸役御免で常に稽古した。
その後盛衰があったが行学日朝の代には舞殿を建て正月一〇日の年中行事と定め、年中行事の法要には奏楽を始め惣礼・散華・梵唄・対揚等の声明が行われるようになり一三種の曲目が相伝されている。
現在盛んに演奏されている越天楽は寛政年間に初めて曲目に定められている。
京都本圀寺には光山流声明が伝えられ、昭和六年(一九三一)多紀道忍、吉田恒三により身延流と共に洋楽譜に採譜された。
日蓮宗信行道場が開設されてから法要式統一の上から宗定即ち日蓮宗声明が作られた。
洋楽について見ると、大正から昭和初期各地に新民謡をつくる事が流行した。
洋楽の普及に伴いラジオやレコードによる流行歌の氾濫とこれに観光宣伝がからみ合いマスコミ音楽が盛んになったからである。
日蓮聖人六五〇遠忌には「エー富士の白雪朝日に映えりゃ、木曽や御岳は薄化粧、今の身延はネー、今の身延はこの世の浄土、心留めた法の山、サアサ身延へ参りゃんせ」で始まる八聠の「身延音頭」(結城玉容作詞・町田嘉章作曲)がつくられ親しみやすい曲で盛んに歌われた。
第二次大戦以後この種のものが盛んにつくられ、「身延山音頭」(田巻俊夫作詞・坂口五郎作曲)、「お題目音頭」(藤井日静作詞・小名木秀夫作曲)、「身延山讃歌」(細井鵲郎作詞・平井英夫作曲)、「七面山奉讃歌」(星野一俊作詞・山西潤作曲)、「日蓮大聖人奉讃歌たちばなの譜」(木村学司作詞・池田四郎作曲)、「柴又音頭」「柴又小歌」(いずれも江崎小秋作詞・弘田竜太郎作曲)等がある。
これらの多くは堅苦しい曲ではなく大衆的な曲調で、しかも振付がついていて寺院の祭礼の奉納清興に用いられた。
子供向きのものとしては昭和一一年(一九三六)に日蓮宗宗務院社会課あるいは日蓮宗布教助成会の依頼後援により「お会式行進曲(江崎小秋作詞・村越国保作曲)、「こどものお会式」(江崎小秋作詞・森義八郎作曲)、「誕生おどり」(高佐貫長作詞・江崎小秋補筆・長妻完至作曲)がつくられ、振付賀来琢磨によりビクターやポリドールでレコードになった。
その他「善日麿」「おてゝ合せて」「日蓮さま」などの幼児向きのものがある。
法要について見ると西洋音楽による新しい法要が試みられるようになった。
開宗七〇〇年には佐賀県法蓮寺の藤山英雅は声明による奉請・三宝礼・奉送を子供にもわかる歌詞に改訳し、オルガンを用いた児童聖歌隊による法要を行い、新しい音楽法要の道を開いた。
日蓮聖人降誕七五〇年には、日蓮宗宗務院は「慶讃歌」(成川文雅作詞)、「護法讃歌」(金栗堅一作詞)、「み仏はいます」(紀野一義作詞・藤本寿一作曲)がつくられ、池上本門寺の記念法要には児童聖歌隊による法要が行われた。
昭和四五年川崎市妙光寺では寺歌「明日への祈り」(吉田顕静作詞・梅垣達志作曲)、「ひとりぼっちの季節」(浅見アキエ作詞・鈴木ミチオ作曲)をつくった。
更に、昭和二八年福岡県本仏寺佐野前光は、博多宗祖銅像建立五〇周年に交声曲『日蓮』をつくった。
この曲は宮城道雄の作曲で、彼の数多い作品のうち晩年の代表作である。
また日蓮宗静岡県中部宗務所では日蓮聖人降誕七五〇年記念に「日蓮さま」(子供のため)、「蓮の花」(婦人のため)、「青年の歌」(青年男女のため)などが作詞峯陽・作曲小林秀雄によって発表された。
明るく格調高く誰からも親しまれる歌として愛唱されている。
昭和五二年静岡県和党会ではエレクトーン・フルート・銅羅・木鉦・団扇太鼓・鏧(きん)などを用い「宝塔偈」(遠藤紀男作曲)の演奏会を開いた。
日蓮聖人七〇〇遠忌に当り「大日蓮」、「日蓮の母」(三波春夫詞曲・藤間勘十郎・藤間高子振付)がつくられ、日蓮門下連合会では「オラトリオ日蓮」を企画発表するなど日蓮宗の音楽も本格的なものが作られるようになってきている。