妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

延年

えんねん #2038

延年

えんねん

延年の舞ともいう。
吾妻鏡要目集成』に依れば、「延年は少年の法師二人、裹頭とて白き袈裟にて裹み、赤き袍を着し、白き大口を穿き短き刀を背に指し、中啓を持ち、鼻高を用ひ、又舞ふ中に立烏帽子を着るなり。 唱へ方は六人にて、五人は赤袍、一人は、白袍、五条の袈裟、縹帽子、中啓、鼻高等なり。 五人各一行に進み出て、唱ふるに連れて舞ひ、舞方唱方一同に退去す。 僧徒下安全の為に修行する舞なりといふ。 叡山・南都の僧・伝来することなり。 」とあり、東大寺、興福寺、延暦寺、園城寺、毛越寺、輪王寺などの各宗諸大寺に伝承されていたが、今は絶えている所が多い。
日蓮宗では、『地引御書』に「坊は十間四面に、またひさしさしてつくりあげ、二十四日に大師講竝びに延年、心のごとくつかまつりて、二十四日の戌亥の時、御所にすゑ(集会)して、三十余人をもって日経書きまいらせ、竝びに申酉の刻に御供養すこしも事ゆへなし」(定一八九四頁)と記しているように、弘安四年(一二八一)一一月二四日身延山久遠寺落慶式の日に大師講と共に行われたのを初めとする。
また、『小山茗話』(要敬日幹著)には、当事の舞人は、経一麿、亀寿麿や中老僧などで、舞は、大衆舞(開口・移・倶舎・松請・柴灯・畑送)、児舞(ちごまい)などが行われたことがうかがわれる。
なお、身延延年が毎年一〇月一二日の夜に行われるようになったのは、第一一世行学院日朝(一四二二-一五〇〇)の代からであるといわれているが、近年その伝承は絶えている。
《本田安次『延年、『遺文辞典』歴史篇「延年」の項、『日蓮辞典』「延年の舞(えんねんのまい)」の項

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