出定笑語
出定笑語
しゅつじょうしょうご
四巻、付録『神敵二宗論』二巻あり。
国学者平田篤胤(一七七六-一八四二)著。
嘉永二年(一八四九)刊。
本書は『印度蔵誌』と共に篤胤の仏教の根本批判書として名高い。
また本書は大乗非仏説論として知られる富永仲基(一七一五-四六)の『出定後語』、服部天游(一七二六-六九)の『赤裸裸』の影響を大きく受けている。
内容は巻頭で「扨是は出定笑語の大意で、演説致すことは、先第一に天竺の国の水土風俗より致して、其国の始の伝説由来。
また釈迦一代のあらまし。
またもろもろの佛教一部一冊として釈迦のまことのものでなく、残らず後人の記したるものなる慥な論辨。
さて佛法が諸越へ伝り、夫より御国へつたはったことのあらあら。
また御国に有所の諸宗の始り。
および其宗旨々々の立かた、さて佛法の本意又当時世におる者の佛法の心得かたなどの事を申すのでござる」と述べている如く、釈尊伝・諸経典の成立・日本仏教の渡来の順序、などが悪感情をもって論じられている。
法華経については、「釈迦の眞説お実に経中の最第一と思へるはいかに誤で」あるばかりでなく、「実に法華経一部八巻廿八品、みな能書ばかりでかんじんの丸薬がありやせんもの、もし腹の立人があらば、其丸薬を出して見せろと云つもりでござる」。
こんな法華経を尊信する日蓮は愚僧で、天台の智者大師は愚者大師である。
また観音経で説く「刑に臨みていのち終らんと欲せんに、彼の観音の力を念ぜば刀刃段々に壊れなん」とある文を引用し、「日蓮などの龍ノ口の難」など日蓮の自書に書いていないことで、日蓮伝にこの観音経の信仰を附会して作った伝記にすぎない、と非難している。
付録『神敵二宗論』二巻は文化八(一八一一)、九年に講説された『出定笑語』以後に追加補足として説かれたもので、文化一四年に刊行された。
本書は『神敵二宗論』の名が説明するように、一向宗と日蓮宗が「吾が神の道の妨害を為す者」として非難している。
しかし、二宗が篤胤の国体思想に反するという理由よりも、むしろ二宗の教線が庶民信仰に浸透していた社会的勢力の大きさによるものであった、と解すべきであろう。
本書における篤胤の日蓮宗批判は、松本鹿々の『日本仏法穴捜』を写し取った『釈氏根元記』をもととして、日蓮聖人伝・宗門史・教義などにわたる広範囲な非難を浴せている。
篤胤によれば、日蓮の宗旨は天台宗の宗意を悉く盗んで建立したものである。
それ故に四箇格言などと我慢の立言をなしながらも、天台宗だけはほめている。
その理由は、天台の三大部をそのまま尊信し、「此処彼処ぬき模し、夫を和解して仮名にかきかえ」たまでで、日蓮の新発明はどこにもない。
「その此もっぱら法然の念佛宗、親鸞の一向宗などの山があたって、弘まる様子を見て、親鸞が法然の趣意を取て、一趣向を転じたる如く、天台の宗意をそのまま取て、夫に吉田卜部の山神道の説を調合して、かの宗は建立したのである」。
また日蓮は法華経を信じさせるために天台宗で忘れられた三十番神を用いているが、これは行基、伝教、弘法、親鸞などが日本の国は神国であるために、布教の一端として用いたのをまねたものである。
にもかかわらず、「日蓮が勧請したる祠の外はみな爾前勧請と言て、邪神ぢゃ程に拝むなそれ拝んでは、謗法と言ものぢゃと言て既に日蓮が書たる問註抄、諫暁八幡抄など言ものに、伊勢大神宮、八幡宮、其外日本国の諸社は、皆悪鬼神也と、ここかしこに記して有る」。
ことに日蓮の著わした『王舎城抄』『報恩抄』『撰時抄』『阿佛房抄』などにおいて、歴代の天皇を恐れおおくも大罪人と呼び、日蓮の説きたる法華経ならびに題目を唱えなければ、この神国がほろびるなどと悪口雑言をいっている。
更に日蓮は髭題目や曼陀羅に、天照・八幡の名を書き、経帷子にも書き付けて着せるなど狂気の沙汰である。
日蓮は神道を用いながら諸宗批判するのは、彼が下賤の生れだからである。
日蓮は自ら旃陀羅と明言しているのだから正直な法師である。
それにもかかわらず、註画讃などでは寛永系図から高貴の家系を盗み偽造している、と非難するばかりでなく、真宗の僧によって偽作された『大聖日蓮深密伝』の、日蓮聖人が不義密通の子であるなどという資料まで露骨にだしている。
また妙実の働きによって朝廷から賜った、日蓮・日朗・日像の三菩薩号を否定し、資料をあげて詳しく論じている。
しかし、篤胤はここでも批判をするにあまりに急で独善的であるため歴史的考証に欠け、妙顕寺二祖の大覚妙実を、「大覚上人とあるは、身延の住職でム(ござる)」とか、「身延の大覚」などと間違った呼び方をするに及んでいる。
安土・慶長の両法難については詳しく論じているものの、真実の内容については目もむけず、逆に「東照神宮、及び秀忠公、また時の御老中、諸役人衆の御察しならぬ事がどうして有りましょう」と述べ、正しい御政道を邪に申す罪は重いとして笑解している。
また、不受不施にも言及しているものの内容は乏しい。
例えば、不受不施の輩が上総で人を集め、蓮華往生と称して蓮華台に人をのせ、僧が「人の尻の当る処に穴があけてある其穴から槍のようなもので突通して、之を殺し」往生とみせかけていた。
しかし、それを見届たものが訴えて、ついに其の悪僧どもが捕えられた。
このような教えは国家を欺き、人民を惑すもので、不受不施は邪宗であり、これを憎まないでおれようか、と述べている。
本書後半に至ると宗門史に対する批判は一応止め、法華経批判に転じている。
法華経批判は『出定笑語』と同様に経典の結集より始まり、『無量義経』において「四十余年、未顕真実、我所説諸経、法華最第一」と説かれているのは、釈尊以後の人によって加えられたものであり、天台大師が信じ、三大部においてくだくだと難しく説いているのは意味がないといい、妙法蓮華経の五字の批判に至っては、日蓮宗僧侶の不法なる行為と結びつけて破斥するに及んでいる。
即ち、妙法の二字とは、女偏に少の字を書いて二つに分れば少女となり、法の字は水を去るとなる。
それを日蓮宗では難しくいっている。
妙と称し寺に女を隠しておいているのはこのことである、と批判している。
最後に日蓮宗以外の人は大罪人なりと宣伝しているが、天子様、関白殿下、征夷大将軍を大罪人といえようか。
また法華経をそしる者は無間地獄に落ちるというが、篤胤はだいぶ法華経を貓って謗法をしてきたけれども、来世は大蟒に生れもすると楽しみに思っている、と述べ批判の矢を止めている。
『出定笑語』が総論的、思索的なるのに対して、その付録『神敵二宗論』は、全く根拠のない中傷に終始している。
論理は粗雑、しかも独善的で偏見に満ち、文献に基づいた中正な批判ではない。
しかし、篤胤の「古道」の宣揚、天照大神への絶対的尊厳という思想が時代思潮の潮流に便乗し、新体制を求める政治思想として発展していく過程での論述であったために、根拠のない中傷であるにもかかわらず、影響は大なるものがあったし、当時の日蓮宗に大きな打撃を与えたと考えるに十分である。
近世日蓮教学の大成者であり、近代日蓮宗教学の始祖とも仰がれる優陀那日輝(一八〇〇-五九)は「平田大学の出定笑語は未だ刻行せず、此の書出定後語に勝るる事一倍、卓見激論尤も甚し」(『充洽園全集』第四編、三七一頁)、更には「此於平儒者国学者の赤裸裸、出定笑語等の治病の真薬出つるあり」(同書、三六〇頁)と述べ、弾力的に受けとめながらも『出定笑語』の出現に最も関心をよせている。
《宮川了篤「日蓮宗批判史の一考察――松本鹿鹿と平田篤胤の関係――」『日本佛教』四五号、宮崎英修「日蓮宗への攻撃平田篤胤」『日蓮宗の人びと』、『岩波仏教辞典』『国史大辞典』七巻「出定笑語」の項》
(宮川了篤)