大乗非仏説
大乗非仏説
だいじょうひぶっせつ
大乗経典は、経典編纂者が創作したものであって、仏陀の真説に基づくものでないという主張。
大乗非仏説の主張の存したことは、インドにおいて大乗仏教徒自らが自覚していたようであって、経典や論にその事実の反映と見られる記事が見出される。
『大品般若経』(巻一六)不退品に「悪魔化して比丘と作り、服を被って來りて菩薩の所に至り、菩薩に悟って言わん、汝が先に聞けるところの、まさに是の如く浄く六波羅蜜(略)阿耨多羅三藐三菩提を修得すべき此の事を、汝は疾く悔捨せよ。(略)若し汝疾く捨てなば、我まさに汝に真の仏法を悟るべし。汝先に聞ける所は皆仏法に非ず、仏教に非ず、皆是れ文飾・合集の作のみ」と述べられる。
これは新興大乗仏教の『般若経』が既成仏教から非仏説として非難された事実の反映であろう。
龍樹の『大智度論』(巻六三)にも「愚人が般若仏説を謗言していう。是れ仏説に非ず、若しくは魔、若しくは魔民の作る所ならん。亦是れ断滅邪見人の手筆ならん。荘厳口力者の説ならん。或は是れ仏説なりと雖も、その中、処々に余人の増益あり」と。
また弥勒の『大乗荘厳経論』成宗品には大乗非仏説の非難に答えて、大乗の仏説たるゆえんを八因をあげて論証している。
同じことは無著の『顕揚聖教論』には六因をもって、護法の『成唯識論』には十因をもって論証されている。
中国・日本の仏教徒は、大乗経典が仏説であることを信じて疑わなかったのであるが、我が国では江戸時代に、市井の儒家、富永仲基(一七一五-四六)が『出定後語』を著し、大乗非仏説を唱えた。彼は仏典を批評的に研究して「異部が上」の説を立て、諸経典は釈尊滅後の仏教諸派が逐次に時代を追って作成したものであり、要するに仏教の歴史的発展の所産であることを論証したのであった。
同じころ服部天游(一七二四-六九)も『赤裸裸』を著して仲基の説を補強した。
仲基・天遊らの大乗非仏説論は近代の科学的仏教研究の基礎となった。
しかし大乗非仏説は、いわば「教相」上の所論であることに注意する必要がある。
大乗経典にかぎらずすべての経典は、釈尊滅後において仏教徒により編纂されたものであるという事実からすれば、編纂者の文学的修飾が加えられている点において、すべての非仏説であるといえよう。
これに対し「観心」の立場からいえば、大乗経典は経典編纂者が釈尊の悟りを追体験することによって、その悟りの内容を言葉を媒介にして表現したものでありながら結局、悟りの精神を表現したということにおいて、それは仏説といえるものであると考えられる。
《『岩波仏教辞典』「大乗非仏説」の項、宮本正尊『大乗と小乗』、勝呂信静「法華経批判論の系譜」『近代日本の法華仏教』》