行者十題略説
行者十題略説
ぎょうじゃじゅうだいりゃくせつ
正中山第一一二世法華経寺住職・伝主河田日因述。
行者(修法師)とは色心二法に亘って如説修行する事のできる者をいい、行者たるの基本要件を一〇項目に分け、理念と実践について解説している。
(1)信力堅固―「行学たへなば仏法はあるべからず。
我もいたし人をも教化候へ。
行学は信心よりおこるべく候」(定七二九頁)信力は行学の精励によって、より一層増進し堅固になる。
然るに以信代慧の祖意を信得することなく軽々に口にするのは、仏道修行において、自らの怠惰を弁護し無能を自慰するのみ。
所謂煩悩即菩提、生死即涅槃とて、煩悩を増長し生死を恐れるの輩である。
(2)専念為法―法は人によって興る。
故に五綱の祖判により、三秘の妙行を修し、信の決定を以て娑婆即寂光の実現に精進するを為法という。
異体同心、宗風宣揚を使命とするとき、為法は為宗にして、為宗は為法となる。
為法に専念すべし。
(3)三業清浄―験者は身口意三業が清浄堅固でなければ、その修法は清浄にあらず。
我等は三業の造る所の諸悪を制するのみならず、意は法性平等の大慈悲に住し(室)身は法性平等の大慈悲を行じ(衣)口に法性平等の大慈悲を唱える(坐)弘経の三軌に安住するとき、自行化他に亘って修法は円成する。
(4)運想本尊―本尊とは、十界皆成の大曼荼羅である。
一切衆生成仏の極処を示現したこの本尊を運念想像する。
即ち、験者自ら心に十界互具平等大慧を信解し、身は久遠本仏にして、即是道場に於て妙経を読誦し、鬼子母神・十羅刹女の守護を蒙むるが故に、如何なる五段の邪気と雖も十界即成すと運想する。
(5)須知要文―凡そ物には博と要との二がある。
博とは学んで知を広くし、要とは守りて行をひきしめるをいう。
故に博にして要を得んと心掛けるべきである。
要文とは、法華経二八品の肝文を選び、祈念の対境に応じてこれを誦する。
例えば澍甘露法雨滅除煩悩焔の文を誦し、熱病の煩悩を滅除するが如き。
要文を撰抜するのは、(イ)念力を凝し易く。
(ロ)祈念の主旨に適合するにある。
ここを以って験者は、要文を習熟して丹心を尽すべきである。
(6)扶行善根―唱題を正行、読誦を助行とする。
殊に験者は加持修験を正行とし、五種法師、施食、放生、頓写、礼懺等を助行とする。
祈願円成の日には、必ず助行を修福し神仏の冥助を謝すべきで、また病者に臨まんとする時助道を修する暇がない場合が多いので、平素にこれを修し、積功累徳して善根を植えるべきである。
善根は行を扶ける。
(7)験在必求―修法の効験は、誠と勉の併び行われるときに顕現する。
誠のみあって勉がなければ、種あって播かぬに等しく、勉のみで誠なきは、耕して種無きが如し。
若し誠と勉を尽して尚効験の顕れぬときは、自らの至らざるを反省し、いよいよ信力堅固にして退転せず、霊験奇功に至るまで勉めよ。
(8)祈念精誠―祈祷修法の根基は、精心至誠の一語に尽きる。
(9)簡境用捨―凡そ物事は、時と場合と相手によって、取捨撰択は積極的に、または消極的に行われるべきである。
特に加持修験は、仏祖の大慈悲を弘めるを基とする故に、修法を請う者には、速にその患ひを救わねばならぬ。
然るに、現今人情は浮薄となり、行者の念力亦微弱なので、軽挙盲動してはいけない。
今上士は論ぜず、中人已下の行学未熟で信力堅固でない者は、その病者、願者の心中を観察、熟慮し、一度決意する時は修法の効験の必ず得られるまで止めてはいけない。
所対の境をえらんで用捨せよ。
(10)受財開遮―立正安国の祖意達成をもって本宗僧侶の責務とする。
故に常に言行を慎み、志向を高尚にして、宗門意識の高揚に努むべきで、さもない時は財物の前には尾を振り憐みを乞い、遂には施財を慫慂し、その多少を論ずるに至る。
是れ口に正法を唱え、身に邪行を行うの徒輩である。
財を受くる道に開と、遮とあるのを知らなければその身を亡ぼすのみならず、仏祖の罪人となると示している。
《『三箇の法制』》