食作法
食作法
じきさほう
受食作法、食法ともいう。
食前にまず仏恩に報謝し、仏及びもろもろの賢聖に供養し、更に一切の幽鬼界に施して後に食を受ける作法のこと。
一定の規律や作法に従って食事をするということ。
食時に偈文を誦唱し、生飯(さば)をすることは、原始仏教教団に於いてすでに始められていたことが、『四分律戒本』、『十誦比丘波羅提木叉戒本』、『摩訶僧祇律大比丘戒本』、『雑阿合経』第四二、『根本説一切有部毘那耶雑事』巻第三一、『南海寄帰内法伝』などの記述により知ることができる。
また、中国に於いては、東晋時代(四世紀頃)に、釈道安(三一四-三八五)が仏法憲章三条をつくり、その第二条に「食唱時法」を設けたことが『梁高僧伝』、『大宋僧史略』などに記されており、これが中国における食作法のはじまりであるといわれている。
そして唐・宋の時代を経て、南山律宗の道宣(五九六-六六七)、禅宗の百丈懐海(七四九-八一四)、天台宗の遵式(九六四-一〇三二)などによって次第に形を整えたものが、鑑真(六八八-七六三)によって我国の唐招堤寺に伝えられた。
唐招堤寺の食法は、鎌倉時代に至って曹洞宗を開いた道元禅師の制定した『永平清規』の中の食作法に関する項目「赴粥飯法」にも影響を与えているが、これ以降の我国に於ける諸宗の食作法は、大筋はほぼ前記二宗に準じて制定されてきたもののようである。
本宗に於て、古来どのような形式であったかについては詳かでないが、毘尼薩台巌(一八二九-一九〇九)編『法華礼誦要文集』には次のように載せている。
十方今日施主、災障消除、福慧増長、
宝塔偈(此経難持徧下六行、宜しく長短を分けて音読すべし)
汝等鬼神咒、我今施汝供、此食徧十万、一切鬼神供。
彼が福縁力、如来の大慈悲力、一切行者の奉行力、法性の不思議力、予が自念力を以て、彼を福し彼を益せん(念誦し畢って、出生器を措き、更に合爪し、文を誦すること左の如し)。
此食色香味、上献十方仏、中奉諸賢聖、下及六道品、等施無差別、随感皆飽満、令諸今施主得、無量波羅蜜(誦し畢って黙拝し、然して後に食に就く)
正食(食し畢って合爪し、文を誦すること左の如し)
若飯食己、当願衆生、所作皆弁、具諸仏法。
五観。
観実相食計其来処、忖己徳行全欠三行、防心離過三毒為宗、法性良薬為療形苦、為資法身応受此食。
この食法は、昭和の初期まで、各大山の修行僧寮の食法として用いられていた。
そして、昭和一二年(一九三七)八月、身延山西谷に開設された「第一回日蓮宗信行道場」では、訓育主任、片山随英(元北山本門寺貫首日幹)の作による「天の三光に身を温め、地の五穀に神を養う。
皆これ本仏の慈悲なり。
たとえ、一滴の水も国恩によらざるなく、一粒の米も同朋の辛苦によらざることなし。
我等今、菩薩道を行じ、安んじて、この飯食を受く。
法悦感謝極りなし。
願わくばこれによって慧命を増益し、精進の力を養い、信行を成就し四恩に報謝せん。
経にいわく、是人舌根浄 終不受悪味 其有所食噉 悉皆成甘露 南無妙法連華経」の文を合掌して唱え、一拝して受食するという食法を採用し、以降これが流布した。
なおこの食法の誦文はその後字句に若干の改変が加えられたが、昭和四七年四月、「護法統一信行」が提唱され、僧俗共に信行に励む運動を展開するにあたって、次のように改められた。
「天の三光に身を温め、地の五穀に神を養う。
皆、これ本仏の慈悲なり。
たとえ、一滴の水、一粒の米も功徳と辛苦によらざることなし。
我等これによって身心の健康を全うし、仏祖の教えを守って四恩に報謝し、奉仕の浄行を達せしめたまえ。
南無妙法連華経。」
また、池上本門寺のように、信行会、聞法の集い、朗子クラブ、沙弥校などの布教活動の現場では、「食法の精神を、よりわかりやすい言葉で」という観点から食前の言葉、「みほとけに感謝し、ありがたく、このお食事をいただきます。
南無妙法蓮華経。いただきます」、食後の言葉、「この力を無駄にすることなく、日々のつとめに励むことを誓います。
南無妙法蓮華経、ごちそうさまでした。
」という文を採用している例もある。
《毘尼薩台巌編『法華礼誦要文集』、松浦秀光『禅宗故実偈文の研究』》