日乾(寂照院)
日乾(寂照院)
にちけん
(一五六〇-一六三五)
字は考順、寂照院と号す。
身延山久遠寺二一世、鷹ケ峰檀林祖。
俗姓は塚本氏、父は越前国(福井県)の士族であったが、故あって若狭国小浜(福井県小浜市)に移り、ここで生まれた。
永禄一二年(一五六九)、一〇歳で父を喪い、同地の長源寺日欽に就いて出家した。
元亀二年(一五七一)、一二歳のときに師範日欽が寂したので母に従って京都に上り、本満寺日重に師事する。その後六年間にわたり、日重のもとで天台三大部を究め、次いで三井、南都に遊学して瑜伽・唯識・律などを学んだ。
帰洛後、天正一三年(一五八五)に二六歳の若さで、本国寺の学室求法講院(六条檀林)の講主に迎えられ、天台学を講ずる。
同院で三〇歳以前に化主(能化)になった者はほかに例がなく、この一事からもその逸材たることを知ることができよう。
天正一六年に師範日重の譲りをうけて本満寺八世の法灯を継承し、当寺の造営に努力を重ねた。
文禄四年(一五九五)九月二五日、豊臣秀吉は新造立の方広寺大仏殿で亡父母菩提のため、諸宗の僧を招いて千僧供養を修することとなった。もちろん本宗にも招請があり、宗義制法による他宗同席、謗法供養などの議論から、出仕・不出仕の両派に分れ、ついに受・不受両論対立という深刻な宗内紛争を惹起した。
この頃日乾は化儀の面では必ずしも師範日重と同調するものではなく、むしろ折伏義をたてて不受謗施を主張していた。
慶長の初め頃、摂津国(大阪府)能勢郡の能勢頼次が一族をあげて日乾に帰依した。
この頃当地が旱魃となり、日乾に請雨法(雨乞い)を修してもらったところ効験著しく、郷民もすべて信仰を寄せたという。
そこで頼次は山屋敷南北六町、東西五町(もと真言宗真光寺の廃寺跡)を日乾に寄進した。
慶長五年(一六〇〇)三月、頼次はこの地に祖先多田満仲をまつり、日乾の隠居所という名目で一庵を建て、覚樹庵と名付けた。のちにこの庵室が発展して無漏山真如寺となった。
また日乾は弟子日然を同地に派して、やはり頼次の庇護をうけて慶長六年三月に清晋寺を開創させた。
翌七年一〇月には、後陽成天皇の御下問に応じて『宗門綱格』を上書きし、本宗の宗旨を本尊・修行・本期の三段に分けて三大秘法を説き、師範日重の教学体系を明らかにした。
皇后中和門院(近衛前子)も日乾に法を聴き、審問ことに厚く、紫方袍を贈ってその法恩にむくいたという。
この年の冬、身延山久遠寺の山衆が日重を山主に迎えようと懇請したが固辞して動かないので、仕方なく高弟の日乾を屈請して許された。
時に日乾は本満寺山主で四三歳であった。
身延に在ること一年、翌八年には辞して京都に帰る。
慶長一三年、常楽院日経の法論事件に当っては、辞理絶妙の告文一紙を幕府に捧げ、本宗の危機を救っている。
翌一四年には再び屈請されて身延に再住した。
身延では毎年三月二八日、立教開宗の日を立正会と称して論議を行う。
この立正会の竪義の式を整えたのが日乾である。
身延在住六年、五五歳で身延西谷の庵室に隠居し、元和三年(一六一七)の春、摂州に遊化して能勢の覚樹庵に至り、四年間をここですごした。
徳川家康の側室養珠院は、駿府城艮位の鎮護として松野村にあった日持の遺跡を静岡に移し、元和四年一一月九日に開堂供養を行い、貞松山蓮永寺と号した。
次いで日乾を招いて当山七世、中興の祖と仰いだ。
同九年、職を日遠に譲って能勢に帰る。
寛永四年(一六二七)には本阿弥光悦ら一門の屈請をうけて京都洛北鷹ケ峰の地に学室を開き、智見院日暹に講筵を張らせ、鷹ケ峰檀林、常照講寺の開祖となった。
翌年池上日樹ら関東諸山が不受不施義を唱導すると、法弟日遠、その弟子日暹らと受不施義を立てて対抗し、江戸に留ること三年におよんだ。
身池対論の結果、日樹らの不受不施義が邪義と裁決され、それぞれ配流されたのち、同七年に幕命で京都妙覚寺に晋董した。
しかしここも一年間住してまた能勢に帰庵している。
また、美濃国(岐阜県)大野部清水村の邑主林丹波守宗雲が伝教大師の旧址と伝えられる天台寺を改めて法性山覚林寺を建立、その開山に迎えた。
このような特筆すべき化跡は、宗門内外から高く評価され、師範日重、法弟日遠と共に宗門中興重乾遠三師と崇敬される。
寛永一二年一〇月二七日、七六歳をもって京都本満寺で入寂した。
日乾の業績に日蓮聖人遺文研鑽がある。身延山蔵真蹟目録の作成、写本と真蹟との校訂、五大部その他の遺文の刊行などがある。遺文刊行史上初となる慶長本(百部刷本)である。
著述には『宗門綱格』『宗旨雑記』『西谷名目条箇』『書捨草』『一筆草』『破奥記』『謗施受用論』『宗門大意』『延山宝物目録』『法隆寺聞書』『華厳筆記』『要文集』『台当要文集』『三日講論議』『六物図聞書』『教誡律義抄』『四分戒本私記』『論議故実』『妙経抄』『当家本尊事』『安国論私』『御書見聞』『元祖化導譜』『小善成仏』『法華和註大意』『円頓者秘訳』などがある。
《『本化別頭仏祖統紀』、日蓮教学研究所編『日蓮教団全史』上、宮崎英修『禁制不受不施派の研究』、『身延山史』、執行海秀『日蓮宗教学史』、望月歓厚『日蓮宗学説史』、影山堯雄『日蓮教団史概説』、宮崎英修『不受不施派の源流と展開』、同『日蓮宗徒群像』、『日蓮宗大観』、『遺文辞典』歴史篇「日乾」の項、『日蓮辞典』『日本仏教人名辞典』『国史大辞典』一一巻「日乾」の項》