仏殿
仏殿
ぶつでん
奈良時代の仏寺は主として華厳・律などのいわゆる南都六宗によるもので、本尊をまつる金堂と仏舎利を奉安する塔を中心に中門・廻廊・講堂・鐘楼・経蔵など整然とした伽藍を配置し、このほか僧房、食堂(じきどう)等居住に必要な付属設備も完備していた。
寺院は即ち経論教学の場であり、仏殿はすべて正堂としての仏像を安置するための場であり、金堂と呼ばれた。
その後、平安時代に入ると最澄は比叡山に天台宗を、空海は高野山に真言宗を開き、山嶽寺院が経営されるようになってからは、伽藍配置計画および建築の用途も次第に変化を来たした。
その中心建築である仏殿は本尊を祀ると共に加持・祈祷・修法等あらゆる宗教行事に必要な十分な広さと機能をもつよう計画されるようになったが、その後次第にそれぞれ単独の行事に必要な法華堂・常行堂・護摩堂・灌頂堂などの諸堂の分立も行われた。
また薬師堂・釈迦堂・阿弥陀堂・大師堂・不動堂・地蔵堂・文珠堂など別箇に独立した小堂も建立された。
鎌倉時代に入り、禅宗は当時の新興勢力であった武家の信望を得て京都、鎌倉には中国の五山を模した伽藍の建設が行われ仏殿・法堂(はつとう)開山堂など新しい仏堂建築の様式が導入された。
一方、上代貴族社会より引続いた浄土教は浄土宗・浄土真宗・融通念仏宗・時宗などとしてそれぞれ自立、やや遅れて日蓮宗も一般大衆社会に浸透し始め、これらの寺院では本堂と共に開祖を祀る御影堂や祖師堂などが特に重んぜられた。
《『国史大辞典』一二巻「仏殿」の項》