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十大弟子

じゅうだいでし #929

十大弟子

じゅうだいでし

釈尊の弟子のうち、上足の一〇人をいう。
迦葉(Kāśyapa)・阿難(Ānanda)・舎利弗(Śāriputra)・須菩提(Subhūti)・富楼那(Pūrṇa)・目連(Maudgalyāyana)・迦旃延(Kātyāyana)・阿那律(Aniruddha)・優波離(Upāli)・羅睺羅(Rāhula)である。

迦葉は、通常、大迦葉(Mahākāśyapa)といい、浄行第一、頭陀第一と称せられる。 妻を娶るが、五欲の楽を好まず、両親がなくなるや、妻とともに出家し、釈尊の弟子となる。 常に少欲知足の生活をし、頭陀(dhūta行乞)を行じ、粗末な身形をしていたので、人々は彼を軽んじていた。 あるとき、釈尊は訪ねて来た迦葉に半坐を分ち、「ここに坐し給え」といったので、弟子達は、迦葉が偉大なる人物であると分り驚いたという。 釈尊入滅のときは、その場に居合わせず、行乞の地で聞く。 そのとき、ともにいた弟子の一人が、「これで我々の自由を束縛する人がいなくなった」と発言したのに驚き、葬儀のあと、えの散失を防ぐために第一結集を開く。 そして長老として、釈尊入滅後の団を統率する。 禅宗では拈華微笑の故によって、とくに重視している。
阿難は、多聞第一といわれ、釈尊の従弟に当る。 容姿端麗であったため、いくつかの女難の話が残っている。 釈尊入滅後、迦葉によって、第一結集が開かれんとしたとき、参加を望むが、未だ阿羅漢果を得ていないことと、
(1)釈尊が養母摩訶波闍波提の出家を許さなかったのに、阿難が請うて許されたため、女性の出家により正法五〇〇年を衰滅せしめた。
(2)釈尊が入滅されるときに、水を給仕しなかった。
(3)釈尊は長い間この世に留まることができたのに、釈尊にそれを請わなかった。
(4)釈尊の衣をたたむとき、足でそれを踏んだ。
(5)釈尊入滅後、釈尊の陰馬蔵を女に見せた、
という五とによって許可されなかった。 このため阿難大衆の前に懺悔し、禅定に入って深く反省した。 そして夜半、寝ようとして、頭が枕につかんとしたとき、初めて悟りが開け、結集に参加して、経蔵を誦する役目についたという。
舎利弗は、智恵第一といわれ、もとは目連と同じく、六師外道の一人サンジャヤの弟子であった。 釈尊の晩年に、提婆達多が、教団を分裂させ、弟子の一部を引き抜くが、目連とともに説得し、弟子五〇〇人を帰属せしめたという。 親友目連が執杖バラモンに殺されてのちに、釈尊より早く入滅する。
須菩提は、解第一といわれる。 もともと聡明で、怒りやすい格であったが、釈尊から瞋恚の過患を聞くや、たちまちにして悟りを開き、以後、無諍三昧に住して、二と怒ることがなかったことから、無諍第一ともいわれる。
富楼那は、説法第一といわれ、釈尊と同じ日に生れる。 ヴェーダに精進していたが、釈尊出家するや、その友人三〇人とともに出家し、雪山で苦行する。 釈尊が成道したのを聞いて、弟子となり、九万九〇〇〇人を化したといわれる。
目連は神通第一といわれる。 舎利弗とともに六師外道の一人サンジャヤの弟子であった。 サンジャヤのもとでは、七日ですべてを学び終り、師として、二五〇人の弟子をえていたが、サンジャヤの義に満足できずにいた。 そこで舎利弗と相談して、どちらでもよい師に出会ったときは、教えあおうと約束していたところ、舎利弗は仏弟子アッサジの威風堂々たる姿にうたれ、目連と語って、弟子二五〇人とともに弟子となった。 執杖バラモンから瓦石をこうむって、釈尊より早くなくなる。
迦旃延は論議第一といわれる。 アシダ仙人の弟子。 アシダ仙人が高齢のため、悉達太子が悟りを開いてとなったときに、法を聞くことができないので、自分の弟子迦旃延に遺言して、弟子にしたといわれる。 論議を得意とし、よく法相に通じる。
阿那律は、眼第一といわれる。 阿難とともに弟子となる。 説法のときの居眠りを悔い、二と寝まいという誓いを立て、これがために、失明してしまうが、眼を得たといわれる。 この眼によって、釈尊入滅のときに、忉利天に昇り、釈尊の生母マヤ夫人に知らせたといわれる。
優波離は、持第一といわれる。 床屋を生としていたが、阿難達とともに弟子となる。 第一結集では、律を誦する役目をおう。
羅睺羅は、密行第一といわれる。 釈尊が太子であったときに、妃耶輸陀羅とのに生まれる。 一五歳で出家して、仏教々団はじめての沙弥となる。 まだ遊び盛りの子供であったため、しばしばいたずらをして、父親である釈尊を困らせたことが、教典に説かれているが、釈尊も人の子の親であることが分る珍しくもほほえましい話である。 しかし、一方羅睺羅は、釈尊の子供として父の威信を傷つけまいとしていたことは、『四分律』の記からもうかがうことができる。 ち律では、沙弥比丘と同宿することが禁じられていたことから、あるとき比丘達は、羅睺羅屋から追い出してしまう。 そこで、行き場のなくなった羅睺羅は、便所で一夜を明かそうとする。 これを知った釈尊は不憫に思い、羅睺羅を自分の宿房に泊まらせたという。 親子として同宿するのは、これが最初で最後であったことであろうが、小児ながら我儘を言わずに、仏道修行に精進しようとした細やかさがうかがえ、のちに密行第一と称せられた所以である。
《『遺文辞典』歴史篇「十大弟子」の項、『岩波仏教辞典』「十大弟子」の項》

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