小西檀林
小西檀林
こにしだんりん
千葉県山武市に所在した。
天正一八年(一五九〇)通王院日裕が正法寺七世妙道院日悟の招きにより開いた檀林。
開創年代については、天正六年、天正一〇年説がある。
飯高・中村檀林と共に関東三大檀林の一つ。
開講祖、通王院日裕は洛北松ヶ崎に学室を構える教蔵院日生の弟子となり、師日生が要行院日統の招きにより関東下総飯塚、飯高に開講するや、それに従って業を助け、日裕もまた講を開いた。
師日生在檀三年で洛北松ヶ崎に帰るや、日裕もそれに従った。天正一八年妙道院日悟が正法寺に学室小西檀林を開き、日裕を招いて同檀林開講祖とした。
翌一九年、寺領三〇石の朱印を受け、日裕は学徒に講ずること一七年、飯高・中村檀林と共に関東三大檀林としての基礎をつくった。
しかし慶長七年(一六〇二)京都立本寺晋山のため、飯高檀林より自證院日詔を招いて同檀林二世の化主とした。
次いで自足院日周、真応院日達、興善院日饒が化主となったが、六世化主守玄院日領は不受不施義を主張し、寛永七年(一六三〇)不受不施諸師と共に、流罪となり、奥州相馬へ配流となった。
従って寛永八年夏、小西檀林は受派の身延に接収され、その支配下となり不受の学徒は離散し、檀林は荒廃していった。
この小西檀林たて直しのため、受派の中心である心性院日遠の弟子が次々と送り込まれた。
まずそれを中興したのが、一一世化主として入檀した日遠の孫弟子に当る要玄院日寛である。日寛は日遠門下の恵性院日通の弟子で、飯高檀林に学び、同檀林一一世の玄講主を務めた。
そして小西檀林の化主となった日寛は荒廃した講堂等を造営する一方、承応三年(一六五四)一〇月には、小西檀林「法度」二三条、並びに修学課程である「読物次第之事」を制定し、檀規を粛正した。
この「法度」は現在見ることのできる小西檀林最古の「法度」であり、以下に全文を掲げる。
〈小西檀林〉法度
①一、打擲二年追放之事 但於堪忍之人者可為沙汰之外
②一、口論一月文匣之事 但堪忍之人者同上
③一、喧嘩口論之時助成之人之事
④一、持筇笞出人者縦雖不及打擲可打擲之罪事
⑤一、或揚拳或被于抱護等之人者可同悪口之罪事
⑥一、堅不可乱上下之礼儀事 過失者可依和上衆評議
⑦一、不可自讃毀他事 過料同上
⑧一、学業懈怠而好遊覧人者可追出事
⑨一、於学寮不可妄作歌舞遊覧事 但除物読祝儀等
⑩一、就都鄙往来必可啓案内於上座事
⑪一、衆会時節不可猥起席事 過料四十字
⑫一、蹴鞠之事 過料同上
⑬一、盤上之遊之事 過料二百字
⑭一、長髪白衣之事 過料四十字
⑮一、市町帯脇指等事 一月文匣
⑯一、不可立振舞事 付振舞於帰国之人並送遠路事制之
⑰一、誓句之事 過料四十字
⑱一、乱履之事 過料百字
⑲一、無実申懸人可同本罪事
⑳一、廃学之人者収廃退之年数可退其座事附三年廃学之人者可為衆徒之外
㉑一、新談義者必在談処可執行事 若於犯者罰金二歩
㉒一、公処説法事 能化上座評議之上必能化之直筆許状可被勤之
㉓一、万端可随上座五人之下知事 但於及衆議一住申所存再往可被任五人之義若於違犯者永代追放
右依旧規所定如件
承応第三甲午年十月 日
妙高山正法寺日寛在判
〈小西檀林〉読物次第之事
一、名目、四教儀、集解、観心、直談、玄義、文句、止観、御書
右之次第不可乱者也、但晩学之人者除観心物
承応第三暦十月 日 日寛在判
この「法度」は二三条から成るものであるが、二三条中⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑳条を除く一七条までが、日寛の師にあたる飯高檀林心性院日遠制定の「万代不易法律」、真応院日達の「追加」と同文の規制であり、このことから小西檀林の「法度」は日遠・日達の法度を範として踏襲されたものであることがわかる。
また修学課程についても、日寛の定めた「読物次第之事」は、実は日遠の制定した名目部から止観部にいたる天台学重視の修学課程をそのまま継承し、学徒の教育に当ったものであることがわかる。
これは小西檀林が、諸檀林における修学課程を制度化し、統一の教科書・指導書によって、不受派に対する教権の確立をはかり、身延日遠および日遠門下の飯高檀林を中心とする、つまりは身延久遠寺を本山とする支配体制に完全に入ったことを意味した。
かかる檀規のもとに、小西檀林における学徒の教育は、諸檀林のように谷(さく)の学寮に分けて指導した。
江戸谷・藻原谷・伊豆谷の三谷である。
幸竜寺・浄心寺を縁寺とする学徒は江戸谷寮へ、一乗寺・法恩寺・藻原寺を縁寺とする学徒は藻原谷寮へ、韮山本立寺・三島本覚寺を縁寺とする学徒は伊豆谷寮へ入寮した。
また多くの縁寺の中で檀林寺である小西正法寺・小室妙法寺・大野本遠寺・和歌山報恩寺・茂原藻原寺・韮山本立寺を法縁の六本山と称し、そこへ晋山するのを栄誉とした。
とりわけ小室妙法寺・茂原藻原寺は特に出世寺とされた。
諸檀林においては他檀林と能化・学徒の交流が盛んであるが、小西檀林では他檀林との間に、かかる交流は少なく、終始小西檀林に学び、その出身者によって一つの法脈が形成された。
法恩寺法脈・一乗寺法脈・幸竜寺法脈・本法寺法脈・浄心寺法脈がそれである。
これは他檀林にみられない小西檀林の特色であった。
《影山堯雄『諸檀林並親師法縁』、新川日見編『小西法縁史』、冠賢一「関東諸檀林の形成と展開」『近世法華仏教の展開』》
(冠賢一)
図版