新談義
新談義
しんだんぎ
心性日遠(一五七二-一六四二)が、慶長九年(一六〇四)に制定した西谷檀林善学院学制によれば、同檀林第三学級相当の集解部の学科目を修了した少年学徒が、最初に受ける説法の受験式をかく言ったもの。
この談義は、だいたい六月の初旬に行われ、能化(檀林長)を始め、全檀林の学生生徒はもちろん、近隣の者、新談義生の親戚縁者までも群集する大講堂の高座に登って、最初の説法をするのであるから、当人にとっては、最初の大変な試錬であり、かつ難関とされるものであった。
そこで彼らは檀林の鎮守へ水垢離までとって、無魔成功を祈ったという。
この新談義をまた新説法、略して新説ともいった。
このような厳しい試練にパスした少年学徒は、次に帰省して、その出身寺の師匠や檀信徒の前で、説法をしたが、それもただ一回しか許されていなかった。
当時は不受不施事件のことなどもあって、説法に関してはひとり新説後の少年学徒だけでなく、一般僧侶に対しても、その取締りには厳しいものがあった。