宗制
宗制
しゅうせい
「日蓮宗宗憲」、「日蓮宗規則」、「日蓮宗規程」の三種から成り立っているのが現行の『日蓮宗宗制』である。
「宗憲」は宗門の憲法ともいうべき根幹の定めであって、伝統、宗旨、本誓等日蓮宗独自の特色を表現すると共に、宗団としての基本的な在り方を明示している。
「規則」は宗教法人法に則る包括法人日蓮宗の定めであって文部省の認証を必要とする。
(被包括法人の寺院規則は、『日蓮宗宗制』の定めるところに従い、特に「日蓮宗規則」に準拠して作成し、都道府県知事の認証を受けなければならない)。
「規程」は、「宗憲」に基づく必要事項についてのそれぞれ具体的な規定である。
宗制は宗団の和合と興隆とを念願する堅固な信仰に基づいて定められたものであり、僧侶の道念と檀信徒の信念とによって遵守すべきものとしている。
「宗憲」は一六章八五条、「規則」は六章八〇条から成り、「規程」は号数規程が四〇、そのほかに特別規程や時限規程が若干ある。
宗制の変更は宗会の議決を経なければならない。
この場合、宗務総長のほか宗会議員の発議によって宗会へ提出することができるが、宗憲は定数の過半数、規則、規程は五人以上の同意を要する。
更に宗憲の場合三分の二以上の議決が必要である。
規則の場合は規程と異なり宗会議員過半数の同意のほか、責任役員定数の三分の二以上の同意を得て文部大臣の認証を受けなければならない。
宗制の施行は「宗令」によって管長が発布する。
本宗における宗制は、新居日薩のもとに神保日淳により初めて制定をみたといわれている(昭和二一年発行『宗報』第一号)。
即ち明治八年(一八七五)一月仏教各宗が政府に建白した仏教弾圧に対する非理の申立てが奏功し、同年四月三〇日官営の大教院は事実上その機能を停止するに至った(建白書の案文は日薩)。そこで各宗は、その宗内体制を自主的に確立する必要に迫られ日蓮宗では同年六月二本榎承教寺にある宗教院に、初代管長(明治七年四月一日就任)日薩が会議主となり「宗規釐正会議」を招集した。
これが「第一次本山会議」とも「碩徳会議」とも呼ばれる今日の宗会に当るものである。
この会議で決議された一八ヵ条が明治新政に即応する大方策であり『宗制』に該当するものであろう。
しかし一致派を廃し単称「日蓮宗」の公称を許されたのは翌九年の二月であるからそれは一致派としてのものである。
学課等級、得度、法服定則の三件は別達になっており判然としていないが、明治五年の五山盟約と比較するとき「文明維新の旨を体認して宗規僧風の釐正」を主眼とした旧慣刷新の意図は明瞭である。
特に五山中より人材選定の管長を公選、本寺住職の選出は人材本位法縁年齢に拘泥しないこと、身延を祖山と公称、祖師忌日を太陽暦に従う等の改定が行われているのは注目に値いする。
明治一七年太政官布達第一九号によって、教導職が廃止され、教宗派の取締を管長に委任すると共に、宗制寺法の制定を命ぜられた。
これが八月一一日のことである。
翌一八年四月管長吉川日鑑は「宗制寺法」その他必要条項を定めて内務卿山縣有朋の認可を求め、五月一一日付内務卿松方正義の認可を得た。
五月一三日この「宗制寺法」は全国寺院に対しその施行を布達されている。
これが法の定めに従い制定され、官の認可を得て施行された初めての「宗制」ということができる。
宗制一九ヵ条、寺法七ヵ条から成っているが、ここでは第一条に本宗の教旨を、第二条に異体同心に、永世分派異議の禁止を明示し、第三条に「管長ハ総大本山以下四十四箇ノ本山現住職中ヨリ投票公選シ満三ヶ年ヲ任期ト定ム」と規定している。
その他宗務本院のほかに地方録所の設置、精錬修学のための大檀林、檀林、宗学林の分設あるいは懲誡条項等を規定し、この宗制ですでに第一〇条に「加持祈祷ハ中山法華経寺ニ於テ満行ノ上管長ノ許可ヲ得ザレバ修法スルヲ許サズ」とあるのは、宗制上本宗加行所の本来の在り方を明示するものとして貴重な資料といえよう。
宗制の呼称及び成文の形式条文の配列等についての変遷は資料不足で正確を期し得ない。
明治五年の五山盟約七項目、明治八年宗規釐正会議の一八条、明治一一年第二次本山会議における一〇ヵ条の改正等宗門的取決めのあったことは歴史的事実であるが、宗門の制度が公的に認められたのはまず明治一八年の「宗制・寺法」に始まる。
その後『日蓮宗宗規宗則』あるいは『日蓮宗法令』を経て『日蓮宗法規』に移行した。
更に宗教団体法の施行(昭和一五年=一九四〇)に伴い『日蓮宗宗制』となって見出しは章、節、款、目に分れ、条文は通し番号で六九〇条に及び、三派合同(昭和一六年)直後、見出しは章、節六二七条に集約された。
戦後は昭和二一年小湊宗会直後の「宗規」一〇章、「宗則」二八号と一九の「施行細則」とから成る『日蓮宗法規』が最初のものである。
昭和二三年に「宗規」一五章、「宗則」三一号の『日蓮宗規則』に改正されている。
次いで昭和二四年第一〇臨時宗会を経て、全面的な改正が行われ「規則」一四章、「規程」二九号から成る『日蓮宗宗制』となり、更に昭和二六年第一三宗会において、開宗七〇〇年を迎えるに当り、宗本一体の体制が布かれ、宗務機構も一新、総監制となり、宗会も参与会に改まり、現行『宗制』の体裁に改まって、「宗憲」一四章、「規則」八章、「規程」三三号のほか「開宗七百年慶讃会規程」を含む『日蓮宗宗制』へと大改正が行われた。
宗教法人法の施行(昭和二六年四月三日法律第一二六号)も迫っていたので、それに対応するための改正をも意味している。
即ちこのうち「日蓮宗規則」の部分が文部省の認証をうけるための法人法が示す形式に従って作成されたものである。
昭和二九年、宗本分離、管長制、宗会制の復活に基づき大幅に宗制は更改されたが形式は変らず「宗憲」一〇章、「規則」六章、「規程」二九号の『日蓮宗宗制』となり、爾来この形で制定廃止を含めて現行『日蓮宗宗制』(「宗憲」一六章、「規則」六章、「号数規程」四〇、特別、時限併せて一一施行令三)に及んでいる。
(三谷会祥)