妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

宗学林

しゅうがくりん #1713

宗学林

しゅうがくりん

明治一七年(一八八四)の宗会において、改称設置されることになった日蓮宗宗門教育機関
ち明治八年神合併の大教院が廃止されたのを機に、日蓮宗では全国の教区を九分し、第一区東京に大教院(芝二本榎承教寺にあった宗教院をこれにあてる)、他の東京・静岡・山梨・愛知・京都・大阪・岡山・福岡の八区に中教院、この外の地方には希望によって小教院を置くという教育方針を宗門会議で決定したが、同一七年教導職の廃止に伴い、この形式を改め従来の大教院を大檀林、中敷院を檀林と改称した。 そして全を一二の教区に分けて第一(東京)第三(山梨)第五(京都)教区には特に大檀支林が設けられ、旧来の小教院は宗学休と呼ばれ檀林のもとに置かれるようになった。
その後同二八年には一二区三大学区制がとられ、第一学区として池上に、第二学区として甲府・静岡に、第三学区として京都にそれぞれ中檀林(旧来の大檀支林を改称)を置き、一二教区には小檀林が設けられた。 そして同三六年には育の統一を目的として、全に散在する小檀林の全廃、三中檀林・大檀林合併による一大学林制の実行が決定され、翌三七年東京大崎に「日蓮宗大学林」が開した。
しかしこの中檀林の併合・小檀林の全廃は、その後各地に小檀林育を施す育施設を促すことにもなった。 ち京都の光山学院・大阪の本化旃檀林・東京の池上旃檀林・同堀之内旃檀林及び法華経寺の中山学林などがそれである。
一方、各派においても育機関は次第に整備されてきており、本門法華宗では明治二四年静岡岡宮光長寺に東校、尼崎に西校をそれぞれ設け、大正三年(一九一四)には両校を合して尼崎に本門法華宗宗学林を開いた。 また顕本法華宗は明治三一年大学林を干葉県の宮谷より東京に移し、日蓮門下統合の機運高まる中、日蓮正宗・本門宗・本門法華宗本妙法華宗・法華宗の五派と合同(のち本門法華宗・本妙法華宗・法華宗は退く)し、大正六年東京小石川白山前町に統合宗学林高等部を開き、神奈川県三ッ沢に同普通部を置いた。
昭和一六年(一九四一)の日蓮宗顕本法華宗・本門宗三派合同によって高等部は閉林されたが、途中千葉県東金にあった顕本法華宗の宗典講究所に移った普通部(宗典講究所を統合宗学林普通部と改称)は、その後昭和一四年千葉県大綱白星町に移り、同一六年の三派合同による閉林後、日蓮宗大網宗学林と改称された。

← 事典トップ