始聞仏乗義(二七七)
始聞仏乗義(二七七)
しもんぶつじょうぎ
一篇。
日蓮聖人著。
真蹟九紙完、千葉県中山法華経寺蔵(重要文化財)。
『日常目録』には「就類種相対種法門事」とある。
名の始聞仏乗の由来は、書末に就類相対の法門を聞いて何の益があるかの問に答え「始聞仏乗也」というに因んだ名であり、『日常目録』の名は本書の全篇が就類種相対種の法門を説くによる。
系年は書末に「建治四年太歳戊寅二月二十八日」とあり、日蓮聖人五七歳の著、全漢文、問答体。
初めに悲母の第三年追善のため、下総の富木常忍から身延に送られた青鳧(せいふ)七結を謝し、次のその返礼の法施としてこの法門が語られる。
冒頭『摩訶止観』の章安序の「止観明静前代未聞」の語を引き、この語は、漸次・不定・円頓の三種止観の中では円頓止観に対する賛嘆の語であり、円頓止観とは法華三昧の異名である。
法華三昧の心をいえば、末代凡夫の法華修行の意に二つあり、就類種と相対種との二種の開会である。
この二名は薬草喩品の「唯だ如来のみあって、此の衆生の種・相・体・性(略)を知れり」の経文の相対性については既に十如是の処で解説したから省き、種について二種を立てたところにある。
就類種とは、正因種(凡そ心有ること)、了因種(随聞一句)、縁因種(低頭挙手)をいい、相対種とは煩悩・業・苦の三道即法身・般若・解説の三徳のことである。
二種のうち就類種は少分は爾前円教にもあり、法華経迹門方便品の人天開会を頌した二〇余行の小善成仏の偈文もそれである。
相対種とは『摩訶止観』一上の円頓止観の経証を挙げる文中に「云何なるをか円の法を聞くといふや。
生死即法身・煩悩即般若・結業即解脱なりと聞く」云云とあるのが、その手本である。
生死=我等の苦果の依身、即ち五陰・十二入(六根・六境)・十八界(十二入・六識)。
煩悩=見思・塵沙・無明の三惑。
結業=五逆罪・十悪・四重(淫・盗・殺・妄語)等、法身=法身如来。
般若=報身如来。
解脱=応身如来である。
我等の無始以来の三道は今法華経に値い奉って三徳と転じたのである。
なぜ法華経は三道を三徳と転ずることができるかというと、私にはその理由はわかならいが、龍樹菩薩は『大智度論』巻一〇〇に妙の一字を釈して「譬へば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」といい、天台大師は『法華玄義』一上の序王に「妙とは不可思議に名く」といい、『摩訶止観』五では一念三千といわれた。
即身成仏というのは、この法門あるが故に可能なのである。
不断煩悩の凡夫の当体を押さえて仏と見る根拠はここに成立するからである。
この法門は唯仏与仏の境界であって、凡夫が伺い知ることはできないと思う。
そういうことを聞いて、一体何の足しになるのか。
答う、始聞法華経である。
末代の凡夫はこの法門を聞いたなら、ただ自分一人が成仏するだけでなく、父母もまた即身成仏する。
これぞ第一の孝養である。
《『日蓮聖人御遺文講義』一七、『遺文辞典』歴史篇「始聞仏乗義」の項》