童話
童話
どうわ
童話としての法華文学は、法華経信仰を文学として結晶させた作品および法華経を題材とした児童対象の文学をさす。
また法華経そのものを仏教文学とみなす観点から、これを題材にして童話化した作品も含まれる。
仏教伝来以降わが国では各時代を通じて法華経は文学作品に取り上げられ、詩歌・小説・戯曲などあらゆるジャンルにおいて表現されてきた。
その詳細な内容は、山上ゝ泉『日本文学と法華経』『歴世法華文学物語』『法華外伝』などの業績に集成されている。
近代の法華文学における童話作品は、宮沢賢治の詩と童話作品に代表される。
宮沢賢治の文学は、すべて釈迦仏・法華経への信仰精神を表現し「法華文学ノ創作」を意図して書き綴られたものである。
宮沢賢治は国柱会に入会後、同会理事・講師の高知尾知耀(一八八三-一九七六)より「各々その人に適した道において法華経を身によみ、世に弘むるというのが、末法における法華経の正しいあり方である。詩歌文学を得意とするのならば、その詩歌文学の上に純粋の信仰がにじみ出るようでなければならぬ」という話を聞き、この言葉を「法華文学ノ創作」を奨めてくれたものとして受取り、大正一〇年(一九二一)から童話を中心に書き始め、ほぼこの在京時期に大半の作品を生み出した。
宮沢賢治による法華文学の最も大きな特色は、法華経帰命の信仰精神を文学作品として活現し、作品そのものを法華経信仰に帰入させる種子とするために創作した点にある。
その主要な側面には次の内容があげられる。
第一に万物の最大幸福をもたらす根源であり、一切の帰趣である法華経への帰命と末法唯一の大導師日蓮聖人の慈訓に心身を投入し、その大慈悲心を語り伝えていく営みとして法華文学は書かれた。
作品それ自体、独立した文学性を有しながら、なお法華経と日蓮聖人への帰命によって「慈悲の折伏」を目指し「誠の報恩」を果たそうとする信仰実践の表現として賢治の文学作品は成立していた。「仏意ニ契フ」ことを念じ「すべてはすべては大聖人大悲の意輪に叶はせ給へ」と祈願した時期に法華文学が執筆されたことは、法華文学の創作活動と信仰実践との一体性を物語っている。
第二に賢治はこの時期、小説より童話の方が自分に向いていると考え、少年少女の心に法華経信仰の種をうえることを願いとしながら童話を書いた。
これは、『注文の多い料理店』新刊案内に自ら書いたように「正しいものの種子を有し、その美しい発芽を待つ」という理想をこめたものである。また「無上菩提に至る橋梁を架し、みなさまの御恩に報ひやう」とする誓願を抱きつつ「如来を表現」しようとして構想されたものでもあった。法華文学の創作開始に際し「さあここで種を蒔きますぞ」と語ったが、これは賢治の法華文学が仏意にふれて無上道に入る種を結晶させることを目的にしていた点を示している。
第三に、賢治の文学はすべての存在に生命を見、その生きものは自分の中に生き、自分の生命もすべての生きもののうちに息づいている、とする精神の所産であった。
これは「十界百界の依て起る根源妙法蓮華経」が真の幸福をもたらす宇宙意志を持っているとする見方に基づいたもので、そこに限りない生命とまことの力があるとした。「南無妙法蓮華経は空間に充満する白光の星雲です」といい、法華経の春光に照らされて一人が成仏すれば三千大千世界の山川草木虫魚禽獣はみな共に成仏すると語り「人間の世界の修羅の成仏」も実現すると述べている。定めない自然の生命の移り変るこの「白光の星雲」のひろがる銀河系宇宙に永遠なる限りない生命を見出そうとした救いの心が四次元芸術と称した賢治の童話作品の根底に横たわっている。
この精神から生れた童話はいずれも「風とゆききし、雲からエネルギーをとれ」という姿勢に基づく。
「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたものです」(『注文の多い料理店』自序)「これらのからまつの小さな芽をあつめ、わたくしの童話をかざりたい」(「小岩井農場」)。
ここから例えば「双子の星」は、天上と海底を遍歴しいつも慈悲をたやさぬ童子の姿を描き「柳沢」では夜中にオリオン星座の輝く星あかりに新雪を頂く山頂が白光を発しているのを見て「開経偈」を唱えた光景が書かれている。
作品中の最高峰ともいうべき『ひかりの素足』は、まさに「如来を表現」したもので「にょらいじゅりょうぼん第十六」と唱えつつ暗地獄を明るい仏国土に変え、二人の子供を助け「ほんとうの道を習へ」と語る釈尊の姿を鮮やかに描き出している。
そこに「世界を包む大きな徳の力」を示している。
この立場は『野の師父』の中で「諸仏菩薩の護念によって あなたが朝ごと誦せられる かの法華経の寿量の品を 命をもって守らうとするものであります」という表現にも見られ、銀河を包む透明な意志と巨きな力と熱とをエネルギーとする実践が、法華経寿量品を命とし「野の師父」に導かれてなされたことを物語っている。
第四に自己犠牲をいとわぬ菩薩行を作品に表現した点である。
『烏の北斗七星』『めくらぶどうと虹』には殺しあう世界をなくすためには一命を投げだしてもよいという捨身の精神が語られ『よだかの星』には殺しあいに泣き修羅の世界から天界に飛翔したよだかが不死の星となって燃えつづける姿を描いている。
この精神は苦難をさけず他者の生命を助け世界全体の幸福をただひたすらにめざす「デクノボウ」像に完結される。
この原型は『どんぐりと山猫』に見られるが「デクノボウ」は土偶坊であり「仏性なべて拝をなす」不軽菩薩を表現したものである。
一般的に童話とは、幼少年をおもな対象とした文学のことであるが、日蓮宗関係においての童話は法華経や日蓮聖人の信仰を幼少年に伝えていく教化を目的に書かれてきたのが特色となっている。
しかし質量ともに十分であるとはいいがたく、昭和期に入って日蓮宗の教誌『日蓮主義』にいくつかの童話が掲載されたのが注目される程度である。
『日蓮主義』誌上に発表された童話には、鈴木恵隆『鶯と螢』、牧野不二夫『兎のまごころ』、河内澄人『覚えられぬお経』等仏典に素材したものや松田竹の島人『御題目の紙鳶』、葛飾みづゑ『片瀬まゐり』、山倉見宣『今日は二月十六日』、はるすけ『喧嘩』等、日蓮聖人と日蓮宗に題材した作品がみられる。
近年では浅野晃が『日蓮宗新聞』に仏典童話を連載しており、また仏教説話や日蓮聖人の引用した説話故事の平易化と童話化という作業がなされつつある。
しかし幼少年教化の重要性とそれに適応する有効な教材を求める声がいよいよ高まっている反面、教化性と文学性の両面を備えた童話作品を生みだす活動はきわめて乏しいといわざるをえない。
童話を主体とした法華文学の創作は今や重要な命題となっているといえよう。