妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

守護神【教学】

しゅごじん #1672

守護神【教学】

しゅごじん

一般にはや地域社会、個人を守る神、諸尊等をいう。
日蓮宗では特に法華経・法華信者を守護する諸天神を守護神といっている。 日蓮聖人によれば十方三世の諸仏・菩薩・諸天等は法華経によって成仏することができたのであるから、この法華経を信じ持つ者に対して諸尊は何をさしおいても守護されるであろうと確信されている。 諸種の経典に説かれているところによれば、法華経以外の経々では声聞・縁覚の二乗の成仏を許さない。 従って十界互具の立場から見れば、二乗成仏を許さぬ諸経の教主大日・薬師・阿弥陀仏等の仏も自身に具有する二乗の境界は未だ成仏しているのではないから、このような不成仏の素因をもつ大日等のは真のでないとせねばならぬ。 二乗作仏をゆるす法華経の教えによってのみ十界成仏の真実のたり得るのであるから大日等のはここで初めてとなり得たのである。 菩薩・諸もまたそれぞれの自得の地位は実は法華経によって得たものであるから、この経を信じ、これが弘通を励む者に対しては守護を加え擁護せねばならぬ責任と義務をもつものである。 聖人はこのことは迹化の仏・菩薩、本化地涌の菩薩等が霊山会上で誓願したことであるから、いかなることがあっても守護を加えるであろうと確信されている。 こうしてこの確信は陀羅尼品第二十六に説かれている薬王菩薩勇施菩薩の二聖、持国天、毘沙門天の二天と十羅刹女、鬼子母神等が法華経を信じ、受持・読誦し、一句一偈或は法華経の名即ち南無妙法蓮華経の題目を読み、持つものを守護し安穏ならしめんと誓願を立てていることに対する帰依信頼からきているのである。 聖人は「大難四カ度小難数知らず」という多くの法難をへて勧持品二十行の偈を具さに身をもって読み、かくして自身が「如来の使である、如来の所遣として如来の事を行ずる者である」という宗教体験を体現し、「如来と共に宿し、如来の御手をもって頭をなでら」れている法悦に安住されたが、更に進んでは末法に出現する救世の大導師上行菩薩乃至閻浮第一の聖人として自分を位置づけられた。 かくの如く典中に説き明かされている諸菩薩・諸天等は必ず法華経の持者、行者を守護するものであり、従って日本国の守護神天照・八幡もすでに霊山会上において法華経の行者を守護する誓願を立てているから、その分社山王明神等三千余社の神々も同様に守護を加えるのは当然であると確信されている。
聖人は法華経の守護神として特に十羅刹女を尊崇されたが、曼荼羅には鬼子母神と共に勧請してその守護力を顕彰されている。 その他日・月摩利支天の信仰、守護についてはとくに富木・四条両氏に勧信し、また人の一生を見守る同生天・同名天倶生神、福禄神として大黒天信仰えられている。 聖人滅後、十羅刹女信仰は漸次鬼子母神信仰と融合し、鬼子母神を母、十羅刹女をその児と考え、形に顕すようになり、また他方母である鬼子母神一尊のみを祀って守護本尊とするようになる。
また聖人の天照・八幡等への神祇信仰は当時の三十番神信仰と密着し、聖人の直弟日像によって守護神として崇敬され、室町時代には京都を中心として全国に浸潤し、大黒天もこのころ日蓮宗の中で成長し、三十番神・大黒天日蓮宗独自の守護神と考えられるようになった。
室町期末戦時代になると身延山では七面天女信仰が身延山鎮守、法華経の守護神として尊崇せられるようになるが、江戸時代初期、中期の交わり(一六七〇)ごろ身延山日蓮宗総本山としての地位が確立するや、身延山の鎮守七面天女は全に波及して崇敬を受けるようになる。
なお個人的にその信仰する仏・神諸尊をもってそれぞれの個的守護神に定め信仰することも多い。
《宮崎英修『日蓮宗の守護神』、七面山敬慎院『七面山、『遺文辞典』歴史篇「守護神」の項、『日蓮辞典』「守護神」の項

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