法難(坪内逍遙)
法難(坪内逍遙)
ほうなん
小松原法難を題材として坪内逍遙が執筆した戯曲。
日蓮聖人の悲劇的運命と法難のもつ悲劇的要素をモチーフとし、日蓮聖人の予言者的態度、革新的態度、破邪顕正的態度の強烈さを表現することによって、命がけで献身する日蓮聖人の信仰の力を暗示した宗教劇・性格劇の脚本。
史から生れた空想を土台とする新史劇論に基づいて脚色され、しかも宗教味のある日蓮聖人の悲劇的性格を活現した日蓮聖人劇の代表作品の一つ。
直接には、東儀鉄笛の結成した新文芸協会の旗揚げ公演のために創作した。
大正八年(一九一九)一一月に脱稿。
同年一二月一〇日、早稲田大学講堂にて前後三時間にわたり、自ら『法難』を朗読した。
これは脚本と上演と朗読の三つを重視する姿勢の現れであり、小松原法難跡の実地探訪によって史実詩材を獲得しようとしたことと合せて、法華経の読誦法を加味しつつ朗読を実施した点に逍遙の『法難』に対する意欲を示すものである。
『法難』は田中智学、塩出孝潤、柴田一能の教示をうけて部分的に修訂し、大正九年一月に雑誌『大観』に発表、三月に実業の日本社より刊行された。
同じく三月、新文芸協会によって明治座で初演され、全国各都市でも上演されて好評を博した。
顔ぶれは日蓮聖人(鉄笛)、鏡忍房と東条景信(加藤精一)、乗観房(白崎菊三郎)、長英房(竹内耕三)、工藤吉隆(森英次郎)、白妙(秋元千代子)、左藤次(鉄笛)、小草(前田筆子)、東条弥八郎(横川唯治)など。
大正一二年四月、再び明治座で上演。
この時は市川団十郎が日蓮聖人に扮した。
鏡忍房は寿美蔵、工藤吉隆の妻・白妙は芝鶴が演じた。
構成は五幕八場。
序幕は蓮華寺門前。
時は文永元年(一二六四)の一〇月中旬。
処は安房国長狭郡。
蓮華寺は同郡西条郷花房にある真言宗の一梵刹。
第二幕は同寺の本堂内。
第三幕は東条郷一円の地頭東条景信の邸。
一一月一一日午後三時すぎという時間設定。
第四幕は工藤吉隆邸の一室。
第五幕の第一場は小松原の付近。
道具幕で小松原付近の林間の路を現す。
第二場が小松原の一部。
一一日の宵月は浮雲にさえぎられてあたりは時々うす暗くなるという場面の設定。
第三場は小松原の他の一部、第四場は小松原付近の鎮守の社。
舞台の形式では花道の利用が工夫され、動きを大きくすることが考慮されている。
初めに法華経の題目の利生に感心する村民の会話から始まる。
「生仏の大上人さま」を憎悪し、仕返しをする「宗門の敵」・東条景信らと一心に題目を唱える左藤次という東条家の老僕や同じく重病を法華経の利益でなおしてくれた日蓮聖人を信ずる天津の領主・工藤吉隆の妻白妙「慈悲救済」を説く弟子鏡忍房などが登場する。
次いで日蓮聖人および弟子乗観房・長英坊と東条方の念仏僧との法論が戦わされ「法華経の大行者」日蓮聖人の強烈な折伏によって念仏者は敗北してしまう。
迫害を恐れず「仏道の謀叛人」を指弾し、日本国を救うために法華経を説かないではいられない日蓮聖人の「野に叫ぶ」風姿が描かれていく。
やがて東条方は「図太い日蓮坊主」を殺害する謀議を企て、日蓮聖人に帰依する左藤次・小草父子らに法華経を捨てよ・念仏をとなえよと強要し打ちすえる。
遂に「念仏も真言も、地頭も領主も、まるっきり眼中にないが如き振舞」をする日蓮聖人への不安と憎しみから、東条景信は殺害行為におよぶ。
「権勢に反抗する革新型の聖者」とそれに対する「愚民の激しい渇仰」への恐れが景信らをして暗打の行動にかり立てていくことが暗示される。
「法難の為に死ぬのが、それが即ち国の為ぢゃ」「初めから法華経のために献った命を、正に法華経のために失うという、これほどの悦びが又とあろうか」と日蓮聖人は語る。
法難はまた「一切衆生を生返らせる死方」でもあるという。
修羅場の中で、日蓮聖人は額を斬られ、小草・工藤吉隆、鏡忍房らは殉教する。
聖人は「妙法の為に命を献じ了んぬること斯の如し、其志は古への聖にも劣るべからず」と述べ法難に身命を捨てた志が永遠に失われないことを確信をこめて示す。
迫害を恐れない「信仰の力」を体現し「日本国の柱」としての自覚をほとばしらせる慈悲情愛と一切衆生を生返らせる死方」をめざして献身していく日蓮聖人の風姿を描き出し、悲劇的運命に直面しながら、それを国と人間を救うために忍受し法悦に転じていく日蓮聖人の態度を示している。
《石川教張『文学作品に表われた日蓮聖人』》