日扇(長松清風)
日扇(長松清風)
にっせん
(一八一七-九〇)
仏立講(のち本門仏立宗)開祖。
名を長松清風といい、京都町人の子として生れる。
七歳から書を、九歳から画を習い、一七歳の時には城戸千楯に師事して国学・和歌を学び、すぐれた才能を示す。
その後、仏教に対する関心が深まり、浄土・禅・日蓮宗の教学を学ぶ。
天保一三年(一八四二)二五歳の時、母に死別したことから出家の志を抱き、それは江戸遊学の折、重病にたおれてのち一層深まっていった。
帰洛した清風はさらに真言・天台教学を学び、二九歳の時、本門法華宗本能寺長遠院日雄の教化によって、同宗の信仰を抱き、嘉永元年(一八四八)三二歳の時、日耀を師として出家する。
同宗摂津尼崎本興寺の檀林に入檀しようとしたが、清風の学問の素養に対する反感・嫉妬また中年出家に対する蔑視から拒絶される。
清風は僧侶・教団に対する不信のみを胸中にして帰洛し、東山の西行庵で求法、折伏弘通の生活を送るが、やがてその周辺に信者が集っていった。
しかし、ここでも清風の折伏弘通の生活が近辺・山内の反感を呼び、二年余で西行庵を追放される。
時に思うところあって還俗し「禅門清風」と称し町住いしつつ説きあかしていたが、ついに安政四年(一八五七)正月一二日、京都蛸薬師の谷川浅七宅で仏立講を開く。
時に清風四二歳「はじめの御講聴衆四人」であった。
当時、日蓮教団では在家信者の仏教連動が活発に展開していた。
清風の所属した室町時代の日隆に始まる本門法華宗は、本迹勝劣義に立って八品派とよばれ、一八○○年代の初頭には、舜竜院日蒼が初めて江戸に組織した在家信者の八品講が盛んであった。
讃岐高松でも高松藩主の子、松平頼該が嘉永元年に組織した高松講は、清風が開講した安政四年には、既に三一〇〇有余名の講員と、全国に組織された支配下の講、五三を数え、その教勢をほこっていた。
こうした松平頼該の高松講の教団刷新運動は、京都で弘通していた清風に大きな影響を与えたと考えられる。
この嘉永・安政期頃は宗内で三途成不成の論争が激化し、教団を二分する争いとなっていった。
頼該は師大覚日肇の学説によって、成仏は必ず信行下種によるのであるから、三途の畜生等には信行なき故に成仏の実義なしとし、本山と全く対立する立場にあった。
頼該と同じ立場に立つ清風は、開講に先立つ安政三年三月『御法のしるべ』を著作、頼該に贈る。
その所説は頼該の共鳴するところとなり、同年一一月頼該に招かれて高松におもむき、高松講の実態をまのあたりにみる。
この高松訪門は清風の開講に大きな影響を与えたと考えられる。
開講二年目の安政六年八月には信者もふえ「皇都高松組 本門仏立講十人組定書」が制定されるほど、その組織も固まっていったが、初期の仏立講は頼該の高松講と密接な関係を保ちつつ展開していった。
清風の教えは勧誡を目的に作った『教歌』に「現証の利益も見ずにおろかにも、法の邪正をあげつらふかな」と詠うように、信とは唱題の利益を信ずることであり、経力唱題の現証利益を絶対に信ずるという立場に立つ。
そして「けふもまた折伏をして憎まれき、生きてかひある日数なりけり」「しれたこと弘通折伏せぬ坊主、人もたすけずわれもくはれず」と折伏を手段として、痛烈に僧侶を批判しつつ弘通し、京都・大津・大坂等、畿内の都市商工人信者を獲得していった。
しかし清風自ら仏立講は弘通宗・折伏宗であるというように、その激しい弘通は当然諸宗僧侶の反感を受けることになる。
元治二年(一八六五)大津の一向・天台・浄土・日蓮宗等六四箇寺は、清風が切支丹の邪法を行い、在家の身でありながら法を説き歩くと弾劾した。
かくて明治元年(一八六八)「清風は切支丹の邪法を使って世人を誑惑する」という罪名で投獄される。
しかし疑いは晴れ赦免される。
時に出家を願い出て許され「いづくに法義を説とも仔細これなき」「京都府御免沙門清風」となった。
そして、このような法難をくぐり抜けて「かやうの出家は末法今時に清風一人なり」との正統意識をもつにいたる。
しかし明治五年再び京都諸宗の怨嫉を受けて投獄され「牢に三度入れられ八度ところをば追い出されつつ立てしこの講」と詠うように、再々の弾圧を受けながらもそれをのりこえ、明治一一年には「花洛仏立講三十三組、人数凡そ一万人」とその基礎は固まっていった。
清風の仏立講は既成宗教にあきたらない多くの人々を結集した宗教改革運動であったが、やがて近代の明治社会にも応じつつ発展していった。
清風は明治二三年七月一一日に没するが、同三二年本門法華宗より日扇上人の諡号を追贈され、大僧正に叙された。
著書に『御法のしるべ』『三途成不決断抄』等の皆久論に関するものの外、多数あり『日扇聖人全集』に、また勧誡の教歌は『仏立教歌集』に収録されている。
《日扇聖人全集刊行会『日扇聖人全集』、仏立教学院編『仏立教歌集』、執行海秀『日蓮宗教学史』、高木豊「幕末日蓮教団における正統と異端」『あそか』六三号、冠賢一「仏立宗」『日本近代と日蓮主義』(『講座日蓮』四)、西山茂『近現代の法華運動と在家教団』(春秋社『シリーズ日蓮』四)》
\\(冠賢一)