扇
扇
おうぎ
法具として用いる扇には、檜扇(ひおうぎ)、中啓(ちゆうけい)、雪洞(ぼんぼり)の三種がある。
このうち檜扇は、袍裳七条の場合の持物であるところから、現在では、ほとんど用いられていない。
従って本宗の儀式用の扇には、中啓と雪洞が主として使われている。
扇が僧侶の持物の一つになったことは『釈氏要覧』(『正蔵』五四巻二五七頁)に「扇は西天に多く用う。
阿含経にいうが如し、阿難と羅云と皆、扇を執りて仏に侍す。
優婆離、律蔵を結集するとき、彼斯匿王象牙の装扇(かざり扇)を与えて執って律を誦せしむ。
(略)隋の煬帝、高僧敬脱に大なる竹扇の闊(ひろ)十三尺なるを賜うて内に入れて経論を講ぜしむ」とある如く、インドでも中国でも、仏に侍し、あるいは経論を講ずる時には扇を持つことが行われた。
この風習がわが国の仏家にも伝わったということと、推古天皇一一年(六〇三)に、唐の官服の制にならってわが国の朝廷でも官服がつくられ、その折に官史の威儀を正す持物として笏(しやく)を用いるようになったが、わが国の仏家も、この朝廷の礼式にならい、仏前での威儀を正す具として用いるようになったという、両方の理由が重なっているようである。
檜扇は檜の薄板を何枚も重ね連結して糸でとじたもので、その原型は笏であるという。
即ち中国以来、宮廷に於ける儀式は種々複雑であったため、ことに当る官吏達は、笏に式次第、式文などを書きつけて備忘にした。
この板の数をふやして紐でつなぎ合わせたものが檜扇になったといわれ、位階の高下によって板の枚数が異なる。
三位以上は二十五橋、四位以下二十三橋と定められ公卿、殿上人の冬期の持物であったが、前述のような理由で用いられるようになったものである。
『僧服集要』(『仏全』服具叢書第一)には「僧綱、公卿扇、二十五橋、凡僧、殿上人扇、二十三橋、十五歳より内・非職は綾椙扇、之を用いるなり」と記している。
中啓は、たたんでもなお中ほどから先が啓(ひら)いているところから名付けられた名称である。
中啓という名称の外、蝙蝠扇(かわほりまたはかわもり)、鳳扇(すえひろ)、折腰などとも呼ばれ、檜扇の板の幅をせまくして紙を張り、丁度、蝙蝠が羽をひろげたような形としたもので、もとは公卿殿上人の夏用の扇として出来たものであったが、次第に僧侶も用いるようになった。
本宗では本衣七条、本衣五条、素絹五条などの衣帯で用いる。
なお、この時の数珠は装束数珠でなければならない。
雪洞は中啓を略したもので、中広(ちゆうひろ)、中浮(ちゆううけ)ともいい、主として知堂、引頭など動きの多い諸役が、便利であるために持っており、この場合の数珠は勤行数珠でよい。
このほかに略扇といって、赤骨、黒骨、白骨のやや大ぶりの扇があるが、道服折五條の略装の時に持つもので、儀式用としては用いない。
なお、中啓の骨の色については、儀式全般に亘って通用のものは赤骨で、白骨もこれに準じ、黒骨の白紙張りは僧侶の葬儀に当って遺弟、法類など身内側の持つのとするのが適当と思われる。
また鈍色(にびいろ)のものは御大葬(ごたいそう)(天皇の葬儀)に用いるといわれている。
中啓の扱い方については『宗定法要式』(平成23年改訂再版 二二二頁)『新編日蓮宗信行要典』(三五七-八頁)を参照のこと。
《宮崎英修『新編日蓮宗信行要典』、江馬務『有職故実』、『仏全』服具叢書第一、『国史大辞典』八「末広扇」・一一巻「檜扇」・「雪洞」の項》