妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

三途成不

さんずじょうふ #242

三途成不

さんずじょうふ

江戸末期に日隆門流で起きた、三途(地獄・餓鬼・畜生)が法華経を聞いて、その身そのまま即身成仏するか否かの問題。
これにより皆成派と久遠派の両派に分かれて、成仏十界皆成であるか、または人界に限るかについて論争された。
皆成論の学説は妙日然、久遠論の学説は大覚日肇によって代表される。
日肇の説は法華の十界皆成、事一念三千の法門は在世脱益の立場において論じたものであって、末法の下種益の立場からすればなお迹である。 の即成は名字信行によって決定されるものであり、下種信行は人界に限られるから、三途の畜生には信行なき故に成仏の実義なしという。
これに対して日然は、久遠派が過去久遠下種の法華と、在世脱益の法華との間に種脱を分け、勝劣を論じるのは速疾頓成の力用を隠没することになる。 信不は三途に限って論じられるものではなく、三途に信無しとして不成仏とするのは法華の妙用を否定するものであるとし、その門下は三途成仏説を論じた。
その後、日然は折衷説を主張したが、あくまで三途不成説を強調したのが、長松清風であった。
しかし不成説に対しては、同系統からも三途永不成の義と混乱するものであると批判された。
二派の論争は要は論に重きを置くべきか、実践の段階で判断すべきかの論争であるといえる。

← 事典トップ