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法華題目鈔(四四)

ほっけだいもくしょう #3898

法華題目鈔(四四)

ほっけだいもくしょう

一篇。
文永三年(一二六六)正月六日、日蓮聖人四五歳の時、安房の清澄寺において撰述。
真蹟断片が京都本圀寺・水戸久昌寺等に散在。
女人成仏法門が説示されていることから女宛ての著述であることは確かだが、具体的な対告衆は未詳である。
一説によれば(1)聖人の母君、(2)母君並びに光日尼、(3)聖人の伯母、等と伝承されているが、何れも確証はなく、熱心な念仏信者であった女に与えられたものであることは確かである。
また本抄撰述の由や背景も明らかではない。
文永元年房総地方を布教していた聖人は、一一月一一日に東条松原の大路において、地頭景信を始めとする念仏信者の襲撃を受け、弟子一人は討死、聖人自身も重傷を負うという法難に遭った。
それが文永三年正月に清澄寺において本抄を撰述されたということは、念仏信者の勢力が弱体化していたものと解出来る。
聖人は本抄撰述に当って題号の下に「根本大師門人日蓮撰」と署名し、自己の思想的系譜を伝教大師最澄に求めている。
これは最澄以後の日本天台宗が円仁・円珍・安然によって密教化し、源信によって念仏が盛んとなり、また円体無殊思想による権実雑乱に陥っていた聖人当時の中古の天台法華宗に対し、聖人は法華経中心の信仰に立脚していた最澄の法脈を継承する正統的弟子として自己を規定したものである。
本抄は題号の示すとおり法華経の題目たる南無妙法蓮華経について、四番の問答をもって題目の功徳とこれを唱える人の利益を詳述されたものであるが、その立場は五義のなかの「教」をもっぱら教相的立場から説いたものである。
日輝が「此抄大意は初番の問答にて知べし」と指摘したように、本抄の大意は第一問答に尽されている。
ち第一番問答には唱題の功徳が説かれ、末代の凡夫、但信無解の者も唱題することによって、悪道を離れ不退の位に入るという広大な功徳を得ることが示される。
第二番問答に法華経の題目は八万聖教の肝心・諸仏の眼目であるからそれを受持する功徳の莫大なることを示し、信の大切さを説き、当の世人の不得意を誡め、種々の例をもって値い難き妙法を聞き唱える功徳が説示される。
第三番問答には妙法受持唱題の文証を示して、題目は広・略・要の中の要法であると説かれる。
第四番問答には妙法蓮華経の五字が具足する功徳を説いてその最勝が示される。
「経」の一字には一代のみならず三世十万の一切の経を摂収することを明し、「妙」の一字について、この一字に開の義・具足の義・能治、蘇生の義があるから、二乗も闡提も謗法者もすべて成仏を得るのであると説かれる。
そして女人成仏について末代女人の成仏は唯だ法華経に限られるのであるから、速やかに念仏することを止めて、法華経の題目を唱えて成仏を期すべきであると勧めている。
本抄は対告衆の女機根を考慮して「南無妙法蓮華経と一日に六万十万千万等も唱えて、後に暇あらば時時は弥陀等の諸仏の名号をも口すさみなるやうに申給はんこそ、法華経を信ずる女人にてはあるべき」(定四〇四頁)と、表面的に念仏を認めるような寛容な説示も見られるが、しかし一日にこれだけ多くの唱題をすることは容易でなく、その後に称名する余裕などなく、不可能なことを方便的に表現されたもので、聖人の本意は念仏否定にある。
それは末文に「今の女人は偏に他経を行じて法華経を行ずる方をしらず。とくとく心をひるがへすべし。心をひるがへすべし」(定四〇五頁)とあることからも本抄の趣旨は念仏信仰を捨棄して、法華信仰を勧奨することにあったことが領解される。
なお聖人佐渡流罪を契機として、天台沙門から本朝沙門へと自己を規定し、師意識は飛躍をとげ、本抄の題目論も『開目抄』を経て『観心本尊抄』においてその完成をみるに至る。
その意味から本抄は聖人学完成の過渡的段階にあるものとみることが出来る。
《『遺文辞典』歴史篇「法華題目鈔」の項、『日蓮辞典』「法華題目抄」「光日尼」の項》

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