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禁断日蓮義

きんだんにちれんぎ #4327

禁断日蓮義

きんだんにちれんぎ

著者は題下に「沙門真陽述」(一六五六=三〇歳寂)とあるが、第一〇巻の真迢(一五九六-一六五九)の奥書によると、草稿作成は真迢、成文化は真陽、その治定は真迢、版行のための清書は「一僧」である。
弟子の真陽に著者の名を与えた由は三〇歳にして夭折した弟子真陽を悼み、弔意を表すためであったと思われる。
内容を検しても、真迢自身の生涯にわたる体、見聞等に関する記述が散見され、真迢自身以外には記述できない。
一〇巻、目録一巻、追加一巻、計一二巻。
承応三年(一六五四)著。 追加は明暦二年(一六五六)著。
真迢は京都妙蓮寺一六世の職を退いて天台宗に改衣した翌年の寛永一三年(一六三六)冬、廬山寺に寄寓して『破邪顕正記』五巻を起草し、翌年閏三月これを脱稿したが、これに対して本宗側からは寂静日賢(一五六九-一六四四)が寛永一八年に『諭迷復宗決』一巻、『同別記』一巻、一九年には守玄日領(-一六四八)が『日蓮本地義』二巻、正保四年(一六四七)に『法華格言』一巻、慶安三年(一六五〇)に長遠日遵(一六五四)が『諫迷論』一〇巻を出して反論したので、それに対する再破として真迢は本書を著したのである。
本書に対する反論に『金山抄』一六巻、『中正論』二〇巻等があるが、それらは真迢寂後の出版である。
破邪顕正記』と本書とを対比すると、『破邪記』は日蓮聖人の思想だけを取上げて天台宗の考え方と違うと批判をするのに対して、本書は『破邪記』の反論に対する再破であるから、批判の問題点は両書大体一致するが、本書は日蓮聖人の思想そのものに対する批判は僅かで、主として日遵の『諫迷論』、従として日領の『格言』『本地義』、日賢の『復宗決』の非台義、三者の立論の相互矛盾等の指摘に終始する。
また『破邪記』は諸宗総合の天台宗の立場から、諸宗無得道の日蓮聖人の立場を大体において論理的論述の方法によって批判するに対して、本書は三師に対する罵詈雑言が目立ち、批判の気分も随分荒々しく辣である。
例えば第一巻第一章で「日蓮党正是日本之朝敵」に七義あることを論ずる中の第四に、日蓮は最明寺時頼・極楽寺重時らを無間の罪人と誹ったから刑罰に行われたが、今の日蓮党の内心では当将軍家光を無間の人と思えども、外には諂って国施を貪る、大誑惑の朝敵なり、第五には当代尊崇の霊神は日光の東照宮であるが、家康公は浄土宗を貴び日蓮宗を罰した人なる故、日蓮党は無間地獄に堕ちたと思っている。 「日蓮党ヲノガ宗義ヲ明カニ露顕セヨ。 刑戮ヲ恐レテ妄語ヲ吐キ、永代ノ恥辱ヲノコスコトナカレ」という。
開巻劈頭の破日蓮義にこの問題を提示したということは、かつて真迢自身日蓮宗に所属していたとき、心中最も畏れた問題もこれであったことを臭わせており、今やそれを刃としてかつての同信の徒に切りつけたわけで、辣である。
本書の価値について、望月歓厚日蓮宗学説史』は、真迢の「所論は義的には権實論に止り」「宗義の本髄に触れざる故に、之が答弁書中亦経文釈義の解釈の争いとなり、宗義の批判研鑚にはあまりに影響なし」。 ただし「真迢の反宗の實は甚だしく宗門的衝動を与へ、間接に宗学的に覚醒するの会を与へたり。 たとへば真迢の題目は体に至るが故に功徳あり、故に観念なければ、成仏せずとの非難は、本宗側の名体一如、観唱一致を唱導せしめたり」と評す。
全体としては聖人が立てたすべての行跡上の名誉や教義を破斥して、是認できるところを全くなからしめようとする意気に燃えていることが文中に溢れているが、本迹論に関する見解は皆無とはいえないが、項目を立てて特に聖人の本門思想の内容を検討することはないから、権実論どまりであり、また宗旨の三秘を批判したところは第九五条「日蓮三箇秘法悉妄説」(四紙)だけであるから、宗義の本髄に触れているとはいえない。
については四種三段五重相対を論ずることなく、事一念三千論もない。 まして欣求浄土に対する立正安国国家諫暁に見られる宗教家としての国家に対する責任感などの聖人の宗教体質を見極めた上での批判ではさらさらない。
その破日蓮義の基本的立場は円体無殊論で、ここから聖人の爾前無得道論・四箇格言等を否定しようとしたに過ぎない。
執行海秀『日蓮宗教学史』、望月歓厚『日蓮宗学説史』、宮崎英修「舜統院真迢の研究」『波木井南部氏事跡考』、浅井円道「舜統院真迢の日蓮義批判の概要」『近世法の展開』》

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