破日蓮義
破日蓮義
はにちれんぎ
二巻。
永正元年(一五〇四)延暦寺沙門円信述。
『仏全』九七巻。
日蓮宗を難詰・破斥した書。
序文に延暦寺の僧円信が文亀二年(一五〇二)勢州桑名郡(三重県桑名市)の仏眼院にて、請われて法華講を始めた時、日蓮宗の僧に対論を求められ、それに対する答えおよび濃州本巣郡(岐阜県)華王院住持の日蓮義に対する難と合わせ(『破日蓮義』本文始めに「不審條目 時ニ濃州本巣郡生津庄華王院住持アタウ、勢州ニ於テ記する所の難。已下之に准ズ」とある)、六二条の難問を記して返答したもの。
その書、後に濃州に行った時、濃州刺史源政房に献じ、政房これを永正元年三月一七日、日蓮宗日憲にその返答を求め、同四月七日に答えが出来、重ねて政房、石川信年を遣わしてこれに対する円信の答釈を求め、同八日に終ったとある。
また先の六二条の円信の難、それに対する日憲の答釈、更に円信の疑難・難詰の三巻を合せ、上下二巻として『破日蓮義』としたとある。
この『破日蓮義』に対して、後に、日蓮宗の僧円明院日澄は『日出台隠記』二巻を記し、破斥している。
『破日蓮義』は各条を三段に分けて、まず「不審条目」として円信の疑難をあげ、次に「答云」と日憲の答釈を出し、更に「重難云」と再度円信の疑難を記している。
六二条のうち大部分がこの形式であるが、「不審条目」二に対して「答云」「重難云」が一の形式が一箇所、「不審条目」が三に対して「答云」「重難云」が一の形式が一箇所ある。
また六二条の不審条目と序に述べているが『仏全』九七巻に所収される『破日蓮義』をみるに「不審条目」が六一条「答云」「重難云」が五八条みえるのみである。
後の『破日蓮義』を破斥した日澄の『日出台隠記』を見るに「重難云」の一部を一条として、六二条の「不審条目」として論斥を加えているを見るにこの一条を加えて六二条としていると思われる。
この書の内容を見るに、日蓮宗は法華宗と号するが、これは天台宗名にて法華は天台所弘の経にて日蓮宗は天台宗名を盗んでいると日蓮宗法華宗号について禁じ、天台御入滅の観音来迎・伝教の極楽浄土院・阿弥陀堂の建立をあげ法華経弘通人の阿弥陀信仰あるに日蓮宗は弥陀極楽事を斥するを難じ、日蓮宗の権小諸経を斥するに対しての経の取捨、法華経方便品の「諸仏智慧甚深無量 其智慧門難解難入」の文、十如是・諸法実相等他、譬喩品・安楽行品・勧持品等経文の解釈についての論難、念珠を日蓮宗が使用する典拠に成仏する指南は法華経により、化儀作法は釈迦の通法によるとするに、他経を余経として斥くになぜ引用し典拠とするやと難じ、日蓮宗が盂蘭盆供養を行うに『盂蘭盆経』に依らず法華経にて行うと言うが、何故七月一五日とするやと難じ、袈裟を用いるにも法華経以外を斥するに何故余経に依って用いるやと難詰し、三十番神・鬼子母神・大黒天勧請について他経他宗の諸神を斥しているにかかわらず何故勧請するやと難詰、天台真言宗等に対する四箇格言についての論難、五番神呪に対する問答、日蓮宗僧侶の比叡山にて学問をする矛盾、日蓮の上行菩薩の再誕とするに対する難詰、神明仏陀等への不敬・不詣について、諸宗学者を謗法人とすること、日蓮宗寺院の釈迦多宝二仏並地涌四大導師について、如説行人についての解釈論、弥陀念仏を小乗等とする権実論について、摂折論について、未顕真実論について等々各種に亘って日蓮宗に疑難を呈し、また破斥を加えている。