日達(本昌院)
日達(本昌院)
にったつ
(一六九一-一七七二)
字は智閑・本昌院と号す。
山城(京都)小栗栖檀林に学び、のちその講主となり、京都寂光寺第九世。
什門の教学は日信・日乗の後振わなかつたが、享保・宝暦の頃、日達が出て品川本光寺合掌日受と共に東西時を同じくして教学の復興を計り、什門教学組織に力を盡した。
また他に陣門の日相、大石寺の日因等も同時にして日達の対手となった。
寿八二歳をもって安永元年一〇月二八日寂した。
著書に『台當本勝篇』四巻(台家本勝篇三巻・当家本勝篇一巻とするもあり、元文三年著)『当家正義本迹易解抄』一巻(『宗全』第五巻)『日什大聖師伝』一巻(元文五年著・不閲)『置文諷誦抄』二巻(寛保元年著・『宗全』第五巻)『思運記』一巻あり。
『台當本勝篇』『当家正義本迹易解抄』は諸家の本迹説を批評したものであり、『置文諷誦抄』は日什の諷誦文を註釈したものである。
日達は主として『本迹雪謗』『扶老』『啓蒙』『安心録』等の一致派諸学の学説を批判して什門教学の確立に努めた。このことからも、その教学は本迹論に終始したことが分かる。
而してその本迹論は什門の伝統教学を踏襲したもので、その間、特色あるを見ないが、迹門の理境に対して、本門における事智正意の思想を強調した点は注目すべきである。
即ち事智に立脚して事一念三千を論じ、信唱即事観の義を説き、『安心録』の極果一念説を破して受持一念説を主張した。
日達は受持信行の問題を解明することに努め、信心正因を説いたのである。
本尊の問題に就いては、十界勧請の大曼荼羅正意説を主張している。
従来の人法・体用の本尊を十界勧請の曼荼羅に依って一体不二ならしめようとした。即ち曼荼羅に依って題目の法体が本門事成の三千であることを示し、またこの事成の三千が久遠実成の本仏の所證であることを顕すとし、能證に従へば久成の本仏、所證に従へば事成三千の法で、人法一体であると云うのである。
而して本化の四菩薩を顕すは久成の釈尊を顕すにあり、久成の釈尊を顕すは本地所證の題目を顕すにあり、題目を顕すは題目に久遠本仏の事成の三千を具することを顕すにあり、事成の三千の功徳を顕すは末法衆生の即成就仏身のためであると、四重の分別を立てている。
《『宗全』五巻、執行海秀『日蓮宗教学史』、望月歓厚『日蓮宗学説史』、『日本仏教人名辞典』「日達」の項》