三昧堂檀林
三昧堂檀林
さんまいどうだんりん
茨城県常陸太田市に所在した。
水戸三昧堂檀林・水戸檀林ともいう。
水戸光圀が久昌寺創立の後、天和元年(一六八一・天和三年説もある)山内に学室を設けて三昧堂檀林と称し、貞享元年(一六八四)寿遠院日遵を招いて開講した。
その基金は久昌院の遺金一五〇〇両の利子、一五〇両をもって維持経営した。
関東八檀林の一つ。
開講祖、寿遠院日遵は心性院日遠門下の寂遠院日通の高弟で、飯高檀林に学び、同檀林玄講主を務めたのち、京都東山檀林八世化主にすすみ、三昧堂檀林が開講されるや招かれて初代化主となり、『法華文句』を講じた。
心性院日遠の孫弟子に当る。
入檀した日遵は貞享三年五月、三昧堂檀林「万代不易法律」一八条を制定した。
以下に全文を掲げる。
〈三昧堂檀林〉万代不易法律
①一、従国主之法式於違背者永代追放之事
②一、物読之次第事
名目、四教儀、集解、観心、玄義、文句、但玄文両部講釈者可致次読也
③一、打擲二年追放之事 但打擲之人於堪忍者可為沙汰之外也
④一、喧嘩之時助成之人者可同本罪、並持筇苔出人縦雖不及打擲可同打擲罪事
⑤一、博奕囲碁蹴鞠歌舞等遊乱事
⑥一、於衆寮不可致於火于乱之事
⑦一、乱履之事 過料四百字
⑧一、雖為小分盗賊人者永代追放事
⑨一、令他人申懸無実者可同本罪事
⑩一、上下礼儀不可相乱事
⑪一、晩課当番之人出仕不可怠転事
⑫一、高声読経高声之談停止之事 但法門者除之
⑬一、不勤学業好遊乱之人者不可置于談林事
⑭一、雖為小罪及数度者永代追放事
⑮一、就善悪徒党引率永代追放事
⑯一、就善悪引破談林者永代追放事
⑰一、入院物読等諸祝儀一向停止事
⑱一、万端法式可随上座之下知事 但於及衆儀者一往申所存再往可任上座之下知者也
右之条々堅可相守者也
維時貞享第二乙丑年六月二日
寿遠院日遵 在判
慧遠院日遙 在判
この法度は一八条から成るものであるが、①⑥⑧⑩⑪⑫⑭⑮⑯条を除く九条までが、日遵の師にあたる飯高檀林心性院日遠制定の「万代不易法律」、真応院日達の「追加」規制を範として踏襲したものであり、更に修学課程についても、第二条の「物読之次第事」は、日遠の制定した名目部から文句部にいたる天台学重視の修学課程をそのまま継承して学徒の教育に当ったものである。
また追加された規制も、明らかに飯高檀林の教育方針である徳行教育を補助する規制であり、基本的には飯高檀林の教育理念を継承したものであった。
しかし、そのなかで三昧堂檀林における開放的・自由討究の盛んな学徒教育の特色を見出すことができる。
それは前掲第一二条の規制「高声読経高声之談停止之事 但法門者除之」の条文で学問討義に関する限りは、非常に自由な環境を与えた興味深い規制である。
おそらくこれは、同檀林の創設に大きな外護を与えた水戸光圀が、檀林のために制定した「十七箇条法律」の影響によるものと考えられる。
即ち、この中に次の如き注目すべき規制がある。
一、法華を学ばんと欲せば、受不施不受不施旅一致勝劣富士門徒、並に他宗学徒を論ぜず掛錫を許すべし。
一、冬夏安居の暇、宿師碩徳を尋ね、他家の宗義を学ぶべし。
このような他派他宗との自由交流の研究態度を奨励していることは、誠に驚くべきことで、例えば飯高檀林第三世化主であった心性院日遠は、元和三年(一六一七)一一月二四日「妙雲山法輪寺唯授一人之掟」を定め、その第一条に「令法久住広宣流布の志、之を励むべし、附たり不受不施並に勝劣改派横入の輩、旧執有るに於いては入座堅く無用の事」とした。
更に寛永七年(一六三〇)の身池対論以降、受派(身延派)に属した飯高檀林、小西檀林においては、以来「不受不施勝劣の人は追放すべきこと」と定めているのに対し、三昧堂檀林の自門の学徒は勿論、他派他宗たりとも掛錫を許すとのことは、当時驚嘆すべきことであったといえる。
おそらく三昧堂檀林の「高声読経高声之談停止之事 但法門者除之」の条文も、この水戸光圀の制定した「十七箇条法律」に影響を受けたものであろうが、「十七箇条法律」にみる三昧堂檀林の自由寛容な教育が、実際に行われていたかどうかは、更に検討を要するであろう。
《影山堯雄『諸檀林並親師法縁』、冠賢一「関東諸檀林の形成と展開」宮崎英修編『近世法華仏教の展開』》
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