東山檀林
東山檀林
ひがしやまだんりん
京都市左京区の妙慧山善正寺境内に設立した京都六檀林の一つ。
鼻祖は善正寺四世顕寿院日演(堺妙国寺七世、正中山二七世、谷中仏心寺開山、岡山妙圀寺一三世)である。
師は寿量院日鎮(善正寺二世、尼崎長遠寺六世)の弟子。
善正寺の法灯を継ぐや学室開設の志を懐き寛永元年(一六二四)大講堂、衆寮数宇を竣工して学室善正講寺という。
また「萬代不易之法式」及び「起誓文」を作って将来の誡となす。
更に学徒の指導と寮棟を充実して一〇年後事を詮量院日休(善正寺五世、洛本法寺一七世、正中山三二世)に託して堺妙国寺に晋山する。
当檀林に三つの谷(さく)念師谷、迢師谷、昭道谷在り、谷とは主任教授の研究室というべきか。
広演院日念(善正寺一四世、洛本満寺二五世、堺成就寺一三世、谷中龍谷寺一七世、新曽妙顕寺二一世)志を立て元禄一〇年(一六九七)営繕に努め寺観を整備し法式を追加して学徒の指導に意を傾けたり、門弟敬慕して谷祖という、当檀林谷の始めである。
迢師谷とは通是院日迢(善正寺一七世、東山檀林二六世、洛本満寺二七世、新曽妙顕寺二三世)にして、師は広演院日念である。
照道谷とは照道院日円(善正寺七六世、東山檀林一〇二世)にして在職中諸寮の修復と檀林規則の復古等得意の才幹を揮って檀林の衰頽の挽回に力があった。
よって七九世四摂院日経は「檀林大切有之故以評議列歴代」となし日円の芳勲遺徳を崇敬して照道谷をつくる、また当檀林は関東とも交流ありその二、三を例せば飯高文能八一世円通院日輪(身延四〇世、興津妙覚寺三七世)善正寺四六世に、飯高玄能四六世見理院日圓(岡崎満願寺三世、妙国寺一五世、中山五七世)は善正寺の二二世に、中村文能五〇世慈妙院日長(初め日雄、尼崎長遠寺一九世)は善正寺の二三世に、小西玄能四五世利妙院日元(洛本満寺三〇世、大阪法清寺二世)は、善正寺三五世にそれぞれ入山している。
但し学徒の多くは中村に笈を負うたようである。
参考までに文能は別称「能化」また「化主」、文句を講義し善正寺の住職である。
玄能は別称「古板頭」、玄義の講義をしたのである。
東山檀林は明治六年(一八七三)四月廃檀した。
寛永元年開檀以来二五〇年、能化の歴数実に七二〇余にのぼる。
《影山堯雄『諸檀林並精貞法類』、『東山檀林歴譜』(玄堂記)、『善正寺歴代譜』》