一代聖教大意(一〇)
一代聖教大意(一〇)
いちだいしょうぎょうたいい
一篇。
日蓮聖人著。
「一代大意」ともいう。
正嘉二年(一二五八)二月一四日撰述、三七歳。
本書の真蹟は現存しないが、日目の写本が保田妙本寺に存する。
『常師見聞奥書』『御書鈔』『録内啓蒙』『祖書綱要』等いずれも聖人開宗後における最初の著作としている。
しかし著作地について、古来より駿河岩本(『高祖年譜』)と房州(『別頭統紀』)との二説があるが、岩本説が妥当であろう。
本書の対告衆について「法鑒房への賜書」(『啓蒙』巻二四巻に日領説として掲ぐ)というが甚だ疑わしい。
本書の題号は後人の立題で、一代とは釈尊一代のこと。
即ち釈尊が一代五〇年に亘って説かれた教法の大意を述べたものである。
釈尊の説法を五〇年として、これを時間的に縦に五時に配当したのは天台大師智顗である。
聖人も本書を執筆するに当って智顗の五時判を依用し、法華経が釈尊出世の本懐であり一切衆生成仏の教法であることを明かされたのである。
本書の内容は、まず蔵通別円の化法四教を、教理行果の四法に分って教理的に検討し、次に五時判を依用して時間的に釈尊一代の教法を分類し、法華経の教理の深遠なることを顕さんとするのである。
即ち法華以前の華厳・阿含・方等・般若の爾前四二年の経教は、法華経へ誘引するための方便の教法であり、未顕真実、無得道の法門であると断定し、ただ釈尊内証の十界互具・一念三千の法門を示して一切衆生皆成仏道の理を明かした法華経のみが最高最勝の教法であると、一代教法の勝劣を明らかにし、法華経の功徳の深勝を力説されている。
巻末において、浄土宗の末学が法華経を難行道とし末代の劣機に叶わずと説く誤りを破折されている。
しかし本書は聖人初期の著述であるから他宗他経に対する態度は寛容である。
日導は本書を佐後の法門に比べるに四異ありという(『祖書綱要』)。
(1)に法華経の経意を佐後は末法為正と力説するのに対し、本書は「相伝に有らざれば知り難し」「総じて十界の衆生の為なり」と従容である。
(2)に爾前の成仏について、佐後は爾前無得道法華独一成仏を高唱するが、本書は「秘蔵の故に顕露に書さず」と述べて明快に論じていない。
(3)に天台大師の法門について、本書は一念三千・十界互具の法門を大師内証の実義と称揚するが、佐後に至ると大師の法門を認容しつつも『本尊抄』受持成仏段の如く、時機に約して妙法五字に比すれば小乗教・邪見教・未得道教と批判している。
(4)に浄土教批判について、本書は法然・源信の末学のみを破折して源空に対して従容的批判のみで、法然浄土教の核心を衝いた批判が見られない、と本書の法門について述べる。
《『遺文辞典』歴史篇「一代聖教大意」の項》