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童話布教

どうわふきょう #4389

童話布教

どうわふきょう

大正五年(一九一六)火災のため校舎を烏有(うゆう)に帰した日蓮宗大学では、バラック建築の校舎で授業を続けると同時に、学生たちの消沈しがちな意気を振起させるべく学科外のクラブ活動を奨励した。
その一つに「社会問題研究会」が生まれ、童話布教を主としての児童問題も取上げられた。
高島平三郎、馬田行啓の両教授を中心に学生たちは童話布教への関心を高め、やがて「大学コドモ会」が組織されたのが大正八年春であった。
大学の堂を会場として、毎週日曜朝九から一一半まで、コドモ会のプログラムは何回かの試行錯誤の末、次のような形式を採り、やがてそれが固定した一つの型になった。

(1)開会の辞 はじめのことば (2)礼拝 献香、献花 (3)宗歌 (4)祈りのことば (5)訓話 宗教講話、信仰談 (6)童話〈休憩 遊戯 運動〉 (7)童謡練習 (8)童話 (9)会歌合唱 (10)閉会の辞 おわりのことば

寺院に於ての子供の集いなど皆無ともいうべき時代であったからであろう、大学コドモ会を嚆矢として、全の都市にコドモ会の発足がみられるようになった。
たまたま、大正一一年宗務当局に更迭があって武田宣明内局から岡田篤内局に変わったが、この時の山田一英学部長は児童課を新設して仲北智要を起用、コドモ会運動の組織化を計り「立正児童教会連盟」が発足した。
の記録から主なコドモ会を京浜地区に限って摘記する。

大学コドモ会(大崎)、旭コドモ会(芝・二本榎)、方面コドモ会(本所法恩寺)、はちすコドモ会(深川浄心寺)、つぼみ日曜学校(川崎妙光寺)、立正日曜学校(浅草長勝寺)、本化コドモ会(神奈川蓮法寺)、立正コドモ会(横浜慈雲寺)、このほか桐ケ谷の土曜コドモ会、鎌倉の星月コドモ会、野方のはちす学園、原宿の蓮光コドモ会、向島の双葉コドモ会等が交互に横の連絡をとりながら開催されていた。
対告衆が子供たちであることから、当然、童話が中心であって、その材の選択と口演の話術が必須の課題であった。
材としては、『世界童話大系』『仏教童話集』『実演童話集』などを講読研修し、話術の勉強には久留島武彦、安倍季雄、岸辺福雄、内山憲尚等の童話家を招いて講習を受け、童話大会などでそれぞれ話術の競演をしたのであった。
、立正児童連盟に属していた学生での童話口演者として自他共にベテランと見られていたのは次の一〇人であろう。

小林是泰、深川泰澄、米田静雄、望月恒龍、斉川純二、田中義貞、細野恵明、渡部公允、丹羽龍真、望月龍学。

童話と共に童話劇も上演するようになり、これが立正大学演劇部にまで発展した。
、上演した劇を二、三記することにする。

「あわて木兎」主演田中義貞、「ドーバンの首」主演望月龍学、「土牢の日朗」主演中谷良英、「釈尊と農夫」主演深川泰澄、「釈尊阿闍世王」主演望月龍学、「常不軽」主演小林是泰。

コドモ会が全的に波及するようになった大正一〇年、聖誕七〇〇年を記念しての童話旅行が企画され、小林是泰、米田静雄、望月龍学の三人が京都本国寺を皮切りに(舞鶴妙法寺)、(鳥取芳心寺)法輪寺、清浄院、(島根連紹寺)を経て広島、岡山、神戸、奈良と寺院の紹介によって小学校での童話と劇を開催した。
次いで大正一二年の関東大震災によって京浜地区が壊滅の状態に陥り、一般市民の為にバラックの応急住宅が建設されたが、肉身を失い、財を失い、そしてあらゆる娯楽機関を失って無気力に陥っている罹災者を慰めるため、「罹災者慰問童話団」を組織して上野、日比谷、浅草、青山権田原などのバラック地帯を訪れて、童話童話劇とを野外で口演し実演した。
大学では慰問団に加っている学生の欠席はすべて出席とみなし、宗務院は「震災慰問報効団」を組織して磯野日筵管長が団長に就任し、この慰問団を後援して一〇月末には慰問団に参加した学生に賞状と縮刷遺文録を副賞として授与した。
その年一一月震災後の荒廃した人心を総括するための民精神作興の詔書が喚発され「立正児童連盟」はこの詔書宣伝の童話旅行を企画した。
大正一三年、暑中休暇を利用して日支満鮮童話布教旅行団が深川泰澄を団長とし、江原亮瑞、望月龍学の二人が参加した。
七月二〇日東京出発、京都(本寺)、姫路(円光寺)と開催、岡山、広島の各寺院主催の会のあと、九州福岡へ大聖人銅像護持教会支援の下、福岡、熊本、唐津、大村などの有力寺院を巡廻、長崎から上海へ渡った。上海乍浦路(本国寺別院)、青島武定路(身延山別院)から海路大連へ、奉を経て北京、津へ。
帰路、奉(蓮華寺)主催にて第五小学校へ、さらに撫順(立正寺、沙河口教会)、大連(大連寺)にて開催。
旅順戦蹟に回向後、安東から新義州へ入り新義州教会小林是泰の斡旋で沙里院女学校へ、次いで仁川、京城、大邱から釜山にて上船、九月一〇日帰京の旅行を了えた。
「心の宝」「人の子わが子の子」などの童話、「釈尊と農夫」の童話宗教劇がこの旅で好評を得た。

昭和四年(一九二九)五月立正大学講堂で開かれた御大典記念コドモ大会後、時代が非常時と称される不穏な空気に閉ざされ、コドモ会運動も沈滞に陥り、やがて満州変、日支変、大東亜戦争と移行した。
そして戦後は保育園、幼稚園沙弥校と児童化の形式は変ったのであった。

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