磯野日筵
磯野日筵
いそのにちえん
(一八五三-一九二七)
慈観院と号す。
嘉永六年に夷隅郡総元村石神(現在の千葉県大多喜町)の農家に生れる。俗名磯野寅吉。
池上本門寺六〇世妙慈院日運(一八〇〇-七八)に師事し、宣了と改名する。
池上の南谷・妙教などの檀林で勉学、明治一一年(一八七八)師範寂後、新居日薩(一八三〇-八八)について研鑽をかさね、比叡山・大和長谷寺などに留学、天台学・性相学などを学ぶ。
後に池上教頭・布教監に進む。
千葉県木更津市光明寺二八世・静岡県静岡市清水区海長寺五六世・東京都浅草善立寺二八世を経て、大正五年(一九一六)一〇月二七日に池上本門寺に晋山、両山(池上本門寺・鎌倉妙本寺)第七一世となる。
大正八年三月二〇日から二二日まで日朗尊者六〇〇遠忌を修す。
大正一一年一〇月三日、第二三代日蓮宗管長となる。
同一三日日蓮門下合同での立正大師号追諡運動が功を奏し、門下各派管長と共に宮内省で宣下書を受ける。
大正一二年五月一二日から六月一七日まで身延山日蓮聖人入山六五〇年の記念報恩会を修す。
同年九月一日関東大震災に遭い、本門寺にも多くの避難民が集まる。
同九日、日蓮宗有志が震災救護日蓮宗報効団を設立する。
同二一日、日蓮宗報効団主催で本所被服廠跡において、管長自ら大施餓鬼会を修す。
一〇月六日第一回委員会で災害寺院の復興会を設立する。
同一〇日、復興委員会が罹災寺院の大会を開催する。
大正一三年一月一八日、日蓮門下各教団が集まって国本会を組織する。
同年二月一六日、京都市岡崎公会堂に日蓮門下が結集して、国民精神作興詔書奉載式と国本会発会式をあげる。
大正一四年五月一〇日、両陛下御成婚満二五年奉祝国祷会を修す。
同年九月一七日、身延山久遠寺八一世杉田日布が第二四代日蓮宗管長に当選したため交代する。
大正一五年四月二七日、池上本門寺御真骨堂上棟式を挙行する。
同年六月二二日、池上本門寺で遷化、七四歳。
《『身延山史』、石川存静『池上本門寺史管見』、『近代日蓮宗年表』》