揚枝
揚枝
ようじ
剣形になっているのを木剣というが、もとは揚枝守という。
揚枝とは本来は小さく削った木片をさす。
古来、加持祈祷の事を身延揚枝加持と称している。
この揚枝の寸法は、七寸で幅の広い方を加持揚枝、狭い方を引取揚枝という。
揚枝守は、物に勝つの意から勝の木を用いている。
楊枝は尺余寸のものもあったが、のち珠数と合せて用いるために七寸に縮めた。
仙応坊日慧大徳が身延七面山において修行の砌、楊枝の数を七本とし、七本は七面を表し、七面は南無妙法蓮華経の七字を顕し、七難即滅七福即生と開き、使用の時は、生霊・死霊・野狐・疫神・呪咀の五段に各一本宛を、後の二本は本迹両門を表し、真体木剣とした。
それ以後現在に至っては、
(1)狐著、夜鳴などの一切の魔病に用いる。
長さ八寸。
(2)死霊に用いる。
長さ六寸。
(3)病疫、熱病、神祟などに用いる。
長さ六寸。
(4)生霊呪咀に用いる。
また死霊にも用いる。
長さ四寸。
(5)神祟を主とし、掌の内に隠し持って一切の加持に用いる。
長さ二寸。
真体木剣は、聖人御撰の『略法華経』全文。
または六番神咒。
あるいは円頓章の文を三行に書き分ける。
加持修行の際、真体木剣の一本は段上に安置し、同文の一本は、験師これを懐中にしてもし使用中に木剣破損等の事故あるときは直ちに取出して用いる。
木剣の表裏、側面に書く要文は、『顕妙抄』剣形巻に相伝されている。
書く時は、一七日祈念し、当日には水行、断食して、朝日に向って書く。
木剣の開眼は、晴天白日、無風にして、吉日を用いる。
なお、この楊枝については、享保五年(一七二〇)九月二〇日遠寿院日久が認められた伝書には「身延山籠之内伝受」とある。
楊枝の縁由については、『本化別頭仏祖統紀』(巻二一)、身延積善房第一〇代日閑法師伝に、七面山に一百日の参籠を行じて神の加護を祈念していたとき、御宝前の供花の一枝が法師の頭上に飛び来り、これを神よりの賜りものと知って大切にした。
行を成満して後は、貧賤孤窮の人々のために加持祈祷を行じた。
その時にこの神賜の一枝を拈ずれば、病苦邪魅は拭うように除癒した。
子を願えば子を得、福を求めれば福を得しめる等の希代の修験者であったと。
『修験故事便覧』(定三三六頁)には「身延山に積善日勇という者あって、七面山に参籠壱百日の修行をして、社壇に六寸の楊枝を供へ、自らの所願成弁するならば、霊瑞を見せしめ給へと祈請し、供えた六寸の楊枝は、積善日勇の掌へ飛び来り、神のいますが如くであった。後、祈祷加持するには、この楊枝をもってした。病としていえずという事なく、邪鬼として去らざるはなかったという。これを積善の楊枝加持といい、自他の験者が木剣を用ゆるのは、日勇の楊枝に擬すると云々」。
楊枝(剣)は逆を撃ち、珠数は順を誘う故に、加持法具として二器を合せ用いて咒するといわれている。
楊枝は勝軍木、桃の木、柊、なつめの木、榶の木等を用いる。
桃の木は邪気を避け悪気を払う徳がある。
あるいは仙木といい、病者を加持するのに名が吉であるから用いる。
特に東方に出た桃の木の枝を吉とする。
中国では、礼記檀弓注に桃鬼所悪とあり、桃は邪鬼を避けるとされている。
榶の木は、しでやなぎ(四手柳)ざいふりぼく(采振木)といい、材は黄白色で、硬くて緻密である。
勝軍木は白膠木(ぬるで)、勝の木と称し、護摩乳木として用いる。
五倍子木(ふしのき)の異名がある。
武人の軍に勝つ意をもって采配、軍配団扇等の柄に用いた。
『下学集』下には、「聖徳太子、守屋を誅するために、四天王の像を造るに此木を用ふ」とある。
このような縁起によって、楊枝木剣の材には以上の木を選ぶのである。
《『広説仏教語大辞典』『岩波仏教辞典』「揚枝」の項》