初心行者位見聞
初心行者位見聞
しょしんぎょうじゃいけんもん
一六巻。
藻原日海(一三四一-九六)著。
建徳三年(一三七二)の作と推定される。
立正大学図書館に蔵されている写本は、法印日証が行学日朝に伝えたものを知見日暹が筆写させたものであるが、誤字脱字が多く読むのに困難である。
本書の綿密な解説は『日蓮宗信行論の研究』(渡辺宝陽)に載せられている。
この見聞は法華経の大事な諸問題について解釈されているが、その中心は末代法華の行者位を明らかにしたものである。
まず「初随喜」について本書巻頭に『四信五品鈔』の大綱を「謂ゆる此御書の所詮は、末代底下薄地の愚者造悪不善の人也と雖ども、権説を捨てて但南無妙法蓮華経と唱へ奉つる者は但信力の一事を以て三悪趣を離れ終に仏道を成ず可き也。
然るに此の信者は何れの位に居する耶と云へば、六即に当る時は名字即、四信に当る時は一念信解、五品に当る時は初随喜也。
此の如く意得る時は一念信解は初随喜と一物なり。
此の初随喜は相似・観行・名字即と云う三釈之れ有り。
教弥実位弥下と云う釈の意を以て一念信解・初随喜は名字即と云うが正意也」と述べている。
『四信五品鈔』執筆の趣旨は初随喜・名字即の境位において唱題により法華経を受持せよということであると確認している。
そしてその手本として常不軽菩薩を挙げて詳説している。
次に初心の行者が十方仏前に生ずる根拠、即ち初随喜の信行を十乗観法の面から論究している。
迹門の十乗観法は一心三観を因として一念三千の心境を観じようとし、本門の十乗観法は一念三千の心境において自受用無作の智を得て境智一体となることであるとする。
これは初随喜の行位に観心の思想を持ち込んだものであろうか。
次に始覚迹門の名字即と本覚無作本門の名字即と本迹不二の名字即を説き、妙法五字の信行は本迹不二の名字即であることを明かしている。
次に妙法蓮華経の五字は教か観かと設問して、爾前・迹門・本門・観心の四重の上に教観一致を置き、教観に堪えざる者でも妙法五字を信心唱題するならば教観一致であると論じている。
以上一瞥した限りでは、本書の最大の眼目を末代初心の行者の境位が初随喜であることを確認し、その証人を常不軽菩薩とし、そこに教観一致の信行があることを論じているのである。
日海の教学において注意すべきは、本迹論の特色、本尊論において人本尊的傾向であること、信唱を重説せること、戒壇建立の思想などである。
また日海は本尊口伝相承史上、重要な位置を占めているのであって向・興・朗・常の諸門の相伝は日海の相伝を媒介として展開していると見られている。