一遍首題
一遍首題
いっぺんしゅだい
紙面の中央に題目のみを書したもの。
あるいは紙面中央の題目の左右に十界の諸尊を勧請しない本尊。
首題本尊。
文応元年(一二六〇)五月二八日述作の『唱法華題目鈔』には「第一に本尊は法華経八巻・一巻一品・或は題目を書て本尊と定むべし。
法師品並に神力品に見えたり。
又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書ても造ても法華経の左右にこれを立て奉るべし。
又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりてかきたてまつるべし」(定二〇二頁)と示されている。
本書は題名の通り、法華経の題目を唱えることの功徳を明かすもので、この文は法華経信仰者がいかなる本尊を奉じ、いかなる行儀により修行すべきかの問いに答えたものである。
本書は法華経を安置、もしくは題目を書いて本尊とするという本尊表示の最初である。
法華経八巻・一巻一品という考えは後に、法華経に繰り返し説かれている一偈・一句・一字受持や寿量品の擣簁和合の大良薬、神力品の結要付属等の説示から要法の題目へと凝縮されていく。
本尊奠定の義意を法師品・神力品にもとめられたのは、滅後における法華経信仰のあり方が、経巻という法を媒介とすることによって初めて釈尊にまみえることが可能であるためである。
法師品には「在々所々に若しは説き、若しは読み、若しは誦し、若しは書き、若しは経巻所住の処には、皆七宝の塔を起て、極めて高広厳飾ならしむべし。
復舎利を安ずることを須ひず。
所以は何ん。
此の中には已に如来の全身います」、神力品には「所在の国土に、若しは受持・読誦し、解説・書写し、説の如く修行し、若しは経巻所住の処あらん(略)若しは山谷昿野にても、是の中に皆塔を起てて供養すべし。
所以は何ん、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり」と説かれている。
日蓮聖人の本尊の形態については大別して法本尊・仏本尊(人本尊)が考えられ、首題本尊は佐前における法本尊の典型となるものである。
立正安国会版の『御本尊集』によって聖人の図顕された本尊をみると、首題本尊は文永八、九年頃と推定されるもの九幅、建治から弘安頃と推定されるもの三幅が現存している。
最初は(1)(本尊番号は『御本尊集』による)文永八年(一二七一)一〇月九日の通称楊子本尊で中央の首題の両脇に不動・愛染を悉曇で表示し、その下に図顕年次と「相州本間依智郷書之」「日蓮花押」の文が記されている。
次の(25)大野本遠寺所蔵・(2)文永九年六月一六日の京都妙蓮寺所蔵・(3)京都本能寺所蔵・(4)小泉久遠寺所蔵・(5)三条本成寺所蔵・(6)東京本妙寺所蔵・(7)京都頂妙寺所蔵の七幅は、首題と両脇の不動・愛染の間に「南無釈迦牟尼仏」「南無多宝如来」が加わった形となっている。
ところがその次に系年される通称(8)一念三千御本尊と(9)女人成仏御本尊は勧請の諸尊が多く、先の八幅と形態が異なる。
ただし(8)には本化の四菩薩が見られない。
次に系年される(10)佐渡妙法寺所蔵の楊子本尊(船中本尊)は首題の左右に「四大天王」「日月衆星」とあり初めの形態にかえっている。
以下は文永一一年以降と推定され、十界勧請の諸尊が多くなるのであるが、建治・弘安頃に再び首題本尊が図顕されている。
(28)建治元年(一二七五)一二月京都妙顕寺所蔵・(29)無記年大野本遠寺所蔵・(90)無記年京都本圀寺所蔵の三幅がそれで、中央の首題の両脇に「今此三界(略)」の讃文が見られ、初期の形態に類似している。
現存する本尊には、これ以外に首題本尊は見られない。
(1)文永八年一〇月九日の楊子本尊・(10)妙法寺所蔵の楊子本尊と「今此三界」の讃文の見られる三幅((28)(29)(90))には二尊四菩薩がなく、大野本遠寺所蔵本尊から京都頂妙寺所蔵本尊の七幅((25)(2)(3)(4)(5)(6)(7))は本化の四菩薩が勧請されていない。
なお首題の義意ならびに首題と本尊の関係については題目・本尊の項を参照。
《『日蓮辞典』「一遍首題」の項》
図版