佐渡御書(一〇〇)
佐渡御書(一〇〇)
さどごしょ
(一〇〇)一篇。
日蓮聖人著。
文永九年(一二五二)三月二〇日、聖人五一歳の撰述。
述作地佐渡塚原。
対告衆は末紙に「日蓮弟子檀那等御中」とある。
端書には四条金吾、富木殿の名があり、彼らを通じて門下へ示されたものと了解される。
御書名は述作地にちなんで後人が題したもの。
異称に「日蓮弟子檀那中書」、「与門人等書」、「佐渡御文」等ある。
真蹟なし。
写本朝師本。
『録内』一七巻所収。
『昭和定本』所収(定六一〇-九頁)。
本書の由来は、前年九月一二日の竜口断頭の難に続いて佐渡流罪と連続的な大難を受け、聖人ばかりでなく門下も入獄、所領没収というような、教団全体への弾圧に、門弟信徒が動揺し退転するものも続出、教団内に聖人の教説や弘教方法に不信や疑惑の声があがった。
聖人はこれらの動揺を防ぎ、その疑惑を一掃することを迫られ、自らの正しさを証明して確固たる不動の信心を門下に植付けなければならなかった。
そのため前月『開目抄』を著して、自他の疑惑を究明し、ついに日蓮聖人こそが法華経に予言せられた「末法の法華経の行者」であることを開顕したが、更にこの書も、諸難の原因と謗法罪を論究し、末法の弘教と懺悔滅罪を述べて、門下に「不惜身命」の覚悟と警告を与え、法華の信心を策励したものである。
本書は『開目抄』とその動機目的対告を同じくしているところから、古来『開目抄』の略書と称せられている。
その本文はだいたい五段に分けられ、
(一)「身命に過ぎたる惜き者のなければ、是を布施として仏法を習へば必ず仏となる」(定六一一頁)と不惜身命の信心に非ざれば仏果叶い難きを示し、
(二)「仏法は摂受・折伏時によるべし」(同)と、摂受・折伏の二門、時機に従って進退あるを論じ、末法は正しく折伏逆化に在ることを示して「時機に相違すれば叶ふべからず」と誡める。
(三)「日蓮は此れ関東の御一門の棟梁也、日月也、亀鏡也、眼目也。
日蓮捨て去る時七難必ず起るべし」(定六一三頁)と正法の行者を迫害するによって災難興起する旨を明す。
(四)聖人の値難の解明と会通で「日蓮智者ならば何ぞ王難に値ふや」という内・外の不信疑惑に対する徹底した解答で、本書の主眼である。
まず受難はかねて存知の事として謗法者をあわれみ、聖人の値難の原因は自身の過去の悪業深重なる故に引き起されたものと、転重軽受の思想を告示している。
これを詳述するに、当代の謗法の道俗をせめ、「日蓮も過去の種子已に謗法の者なれば」(定六一五頁)と自身の先業を懺悔告白して、「いよいよ日蓮が先生・今生・先日の謗法おそろし」(定六一六頁)とこの罪を究明して、「当世の王臣なくば日蓮が過去謗法の重罪消し難し。
日蓮は過去の不軽の如く、当世の人々は彼の軽毀の四衆の如し」(定六一七頁)と、護法の功徳力によって重罪を転じて軽く受けるのだと喜び、自身の化導を不軽菩薩になぞらえて仏果必定を確信する。
(五)門下の聖人への不信を誡め、不動の信を勧めるのである。
なお、本書には興味深い追伸も付されている。
《『録内啓蒙』二七巻、『日蓮聖人御遺文講義』一一巻、『遺文辞典』歴史篇「佐渡御書」の項》