金光明最勝王経
金光明最勝王経
こんこうみょうさいしょうおうきょう
梵名を蘇跋那婆羅娑鬱多摩囉闍蘇怛覧(Suvarṇaprabhāsottamarāja-sūtraまたはSuvarṇaprabhāsa-sūtra)といい、『金光明経』、『最勝王経』とも称する。
五種の漢訳と一種の合糅本がある。
(1)北涼の曇無讖訳、金光明経四巻。
(2)梁の真諦訳、金光明経七巻。
(3)那舎崛多訳、金光明更広大弁才陀羅尼経五巻。
(4)隋の宝貴合糅本、合部金光明経七巻。
(5)隋の闍那崛多訳、金光明経八巻。
(6)唐の義浄訳、金光明最勝王経一〇巻。
(1)は中国における最初の翻訳で北涼の玄始元年(四一二)から同一○年(四二一)にかけて訳された。
全一八品よりなるが高麗本のみ嘱累品第一九がある。
(2)は梁の承聖元年(五五二)、真諦三蔵が曇無讖訳に四品を訳出添加し七巻二二品としたものである。
(3)は北周武帝の代の訳出で五巻二〇品からなる。
(4)は隋の開皇一七年(五九七)、宝貴が沙門彦琮・学士費長房等と共に諸訳を集めて纂輯した合糅本(二二品)であるが現存しない。
(5)は宝貴等の合糅本に銀主品第一一と嘱累品第二四の二品を訳出添加したもので二四品からなる合部八巻本である。
(6)は唐の則天長安三年(七〇三)、義浄が将来した梵本によって訳出したもので一〇巻三一品よりなる。
一般に『金光明最勝王経』という場合は義浄訳を指す。
本経は仏の常住不滅を説くなど、『法華経』と類似した内容を有している。
また懺悔滅罪を説くところから、中国においては古くから本経によって懺法(金光明懺法)が修され、あわせて読誦・書写も盛んに行われた。
日本においても『法華経』『仁王経』と共に鎮護国家の三部経の一として信仰をあつめ、除災招福を祈って講説(最勝講)・読誦・書写等が行われた。
日蓮聖人は『立正安国論』を始め諸遺文に本経を引用されており、そのほとんどが曇無讖訳と義浄訳のようである。
とくに『立正安国論』では国難の原因を糺す経証の第一に本経が引用されている(定二一〇頁)。
これは義浄訳の『金光明最勝王経』四天王護国品第一二の文で「正法が弘まらず、国王が国をかえりみず、仏弟子達も供養の心を持たないならば、諸天は法味を食することができないので威力を喪失し、国に四悪趣が増長し人々は生死の河に堕落する」と説く部分である。
即ち天変地夭・飢饉疫病にあえぐ日本国の大難の原因は、正法の滅尽によって諸天善神が衰退し悪趣が充満しているためであり、邪法を退治し正法を立てない限り国難を救うことはできないことを証すのである。
『立正安国論』では本経に続いて挙げられた『大集経』『仁王経』『薬師経』の文によって、善神の捨国、悪鬼の来入、災難の興起が明確に論証され、これに基づいて謗法対治の必要性が強調されるのである。
『正蔵』一六巻所収。
《『遺文辞典』歴史篇「金光明経」の項、『大蔵経全解説大事典』「〇六六五・金光明最勝王経」の項、『大乗経典解説事典』「如来蔵・唯識部」、『岩波仏教辞典』「金光明経」の項、『仏書解説大辞典』「金光明最勝王経」の項》