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遺文削除

いぶんさくじょ #5000

遺文削除

いぶんさくじょ

日蓮聖人遺文に、所収されている天皇・家・神祇に関する章句が、体と神道の尊厳を冒涜する不敬に該当するとされ、当該章句の削除抹消が行われ、伏字出版と改訂を政府に強要された問題。
日蓮宗および日蓮門下教団に加えられた昭和期における信仰教義迫害の代表的な例。 曼陀羅勧請不敬件とほぼ期を同じくして展開した。
昭和七年(一九三二)一〇月一日、内務省警保局が日蓮聖人遺文の字句の中に不敬に該当するものがあるとし、出版に際して削除せよとの指令を発したことをもって端緒とする。 削除対象は、日蓮聖人六五〇年報恩記念として龍吟社より刊行された『日蓮聖人御遺文講義』のうちの第一三巻(第五回配本・浅井要麟編者)に所収される『四條全吾殿御返事』の遺文本文二頁・七四字、義(現代語訳)四頁・一二三頁。 『崇峻御書』本文三ヵ所・一七一字。 釈迦如来の敵になった三代の天皇が今生に命を失い死後は悪道に堕ちたこと、「腹悪き王」である崇峻皇が人に殺されたことなどが削除該当の不敬内容であるとされた。 同巻は該当字句を文字通り除版削除したうえ、同巻冒頭に「本篇(第一三巻檀越編第一)御遺文本文並に義削除に就て」という急告を綴じて配本された。
日蓮門下各派は、これ以降遺文その他の中の不敬と誤解されやすい文字は伏字として出版することを申合わせた。
昭和九年一一月一〇日、遺文削除問題が再燃。 「日蓮宗の聖典を断乎発禁処分か 不穏な字句を発見し内務省まづ削除を厳命」と新聞報道されるに及んで社会問題化した。 これは浅井要麟編『昭和新修日蓮聖人遺文全集』(昭和九年四月二八日発行・平楽寺書店刊)の各所に皇室の尊厳を傷つける不穏な字句を発見し削除の厳命を行ったもの。 安徳皇が海中に崩じて魚族の食となったこと、承久の変に際し主上上皇が島に流されたまま島の塵となったことを記す遺文内容が皇室への不敬とされた。
内務省は編者および日蓮宗当局者を喚問、日蓮宗は緇素(しそ)協議会を開いて検討を加えて「延べ書仮名つきの御妙判は、宣伝的性質ゆへに削除の命ありしもの」とし、姉崎正治・山田三良・佐藤鉄太郎・山川智応の四名が内務大臣に上申書を提出、文部大臣と交渉して削除の撤回を要請した。
同年一二月一〇日、日蓮宗と内務省との間で削除を見合せること、ただし付帯条件として当該部分の説話・解説・宣伝をなるべく避けることの二項目を決定諒解項とした。 これに伴って同期に刊行されていた『日蓮聖人遺文全集講義』(大林閣版)は遺文字句の一部を伏字にして出版した。
昭和一二年、宇都宮日綱著『日蓮聖人自叙伝』(昭和一一年一〇月日蓮宗布教助成会発行)のうち六頁が頁ごと切り取られ、三たび削除問題が起った。 教主釈尊の御使には天照八幡も頭を傾け手を合せて地に伏すと記した『種種御振舞御書』の一節と日本秋津島は四州の輪王の所従にも及ばず、ただ島の長にすぎないという『法門可被申様之』の字句等が体の尊厳を冒涜する不敬とされた。 同書は削除済の押のうえ、削除頁数を記して「挿入セリ」の貼紙がはられた。
昭和一六年五月、日蓮宗は宗綱審議会を開き日蓮聖人遺文削除箇所の自主的摘出と宗定遺文編集問題を再検討した。
同年六月、重要遺文七〇余編を選び出し、この中より二〇八ヵ所を削除するとの成案を決定、日蓮門下各派に呼びかけてつくった「宗祖遺文削除訂正委員会」でも削除出版が決定された。
日蓮宗は遺文の自主削除に関する審議経過と成案を上申したが文部省から不十分のため再検討をせよと命じられ、同年八月に加藤文雅編『日蓮聖人遺文』(霊艮閣版)の版権を摂取して絶版に付し発売頒布と活用を禁止した。
昭和一九年四月、法華宗を除く門下各派の合同会議で遺文三五書のうちより削除訂正換字一三五ヵ所を決定したが、翌年の敗戦で削除改訂問題は終止符を打った。
山川智応『御本尊御遺文問題明辨―日蓮聖人に対する両般の誤解を正す』、石川康明(教張)「日蓮遺文削除と国神勧請問題」(中濃教篤編『戦時下の』)》

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