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諫暁八幡抄(三九五)

かんぎょうはちまんしょう #4798

諫暁八幡抄(三九五)

かんぎょうはちまんしょう

日蓮聖人身延山隠棲中、弘安三年(一二八〇)一二月(聖寿五九歳)選述の書。
本書の対告衆は、末尾に「各々我弟子等はげませ給へ、はげませ給へ」(定一八五〇頁)とあることから、門下全般であると推測される。
本書の真筆はもともと四七紙であったが、第一五紙までを闕き、第一六紙より第四七紙が富士大石寺に所蔵されている(重要文化財)。 ただし第四六紙の四行目以降を闕いている。
また本書とは別本の前半部真筆は、身延山久遠寺の『乾師目録』によると、久遠寺に所蔵されていたことが窺えるが、明治八年(一八七五)に焼失している。曽存焼失本の日乾写本が京都常照寺に現存する。
本書の著述由来であるが、題号の示すとおり、教主釈尊の垂迹である八幡大菩薩に対し、謗法者を対治し、法華経の行者を守護すべきであると諫暁されたものである。
本書を執筆される前の月、ち一一月一四日子(ね)の刻、鶴岡八宮が炎上した。 『四条金吾許御文』には「去ぬる十一月十四日子の時に、御宝殿をやい(焼)て天にのぼらせ給ひ」(定一八二三頁)、また『智妙房御返事』には「なによりも故右大将家の御廟と故権の太夫殿の御墓とのやけて候由承はりてなげき候へば、又八幡大菩薩竝びに若宮のやけさせ給ふ、いかんが人のなげき候らむ」(定一八二六頁)とあることから、源頼朝の廟と北条義時のとが焼失し、続いて八宮が炎上したのであって(『鶴岡社務記録』参照)、民衆の動揺も大きかったと思われる。
また同年九月二四日には、九州筑前の筥崎宮が焼失している。
由来、八宮は清和源氏の氏神として、武士の間にも篤く信仰されてきた宗廟神である。
それにもかかわらず、蒙古来襲という日本国の存亡危機のときにあって、この不祥事を防ぎ得なかったのか、と日蓮聖人は問われるのである。 その問いかけには八幡大菩薩は釈尊の垂迹であって、法華経を信仰する者を当然のごとく守護せねばならないにもかかわらず、八幡宮の氏子である北条氏が法華経の行者を迫害し、しかも謗法者を守護するゆえに、八宮は炎上したのではないかということであった。
ち、本抄には八宮炎上の由来について、次のような記述がある。 「氏子なれば、愛子の失のやうにすてずして守護し給ひぬる程に、法華経の行者をあだむ国主国人等を対治を加へずして、守護する失に依りて、梵釈等のためには八幡宮は罰せられ給ひぬるか」(定一八三四頁)、「謗法不孝の者を守護し給ひて、正法の者を或は流罪或は死罪等に行はするゆへに、天のせめを被り給ひぬるなり」(定一八四二頁)と、八幡大菩薩謗法者を守護するによって火災に遭ったのではないか、と問われるのである。
これは八幡大菩薩日本国の鎮守であり、その本地は不妄語の釈尊であって、八幡が日本国に垂迹して正直の頂(こうべ)に宿るという認識に基づいている。
そして八幡大菩薩の出世の正直は、その本地たる釈尊が正直の経である法華経を説かれたことと一貫している(定一八四八頁)という聖人の本地垂迹の思想、及び神祇観に支えられたものである。
日本国の神祇を始め、八幡大菩薩は正法をいのち、力として日本国をも守護すべきであるが、外敵をも罰することもできぬほど守護力が衰退しているのであれば、法華経信仰の立場から諫暁せねばならないというのである。
そして八幡大菩薩の出世の正直ということからすれば、宝殿を焼いて天に昇ってしまう(神天上)ことも道理であるが、法華経の行者日蓮が日本国にいる上は、ここに栖み給うべきである。
ここに一端は神上義を述べられながらも、神の帰来を強調されているのである。
上の法門は『立正安国論』(定二一三頁)、『開目抄』(定五四二頁)、『下山御消息』(定一三二五頁)、『報恩抄』(定一二二二頁)等に善神捨国、悪国の捨棄還帰本土等が説かれているが、本抄においては「法華経の行者日本国に有るならば其所に栖み給うべし」(定一八四九頁)と法華経を絶対条件として神の帰来が説かれるのである。
そして本抄の終りには「月の西より東へ向へり、月氏の仏法の東へ流るべき相なり。 日は東より出づ。 日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(定一八五〇頁)と、末法の日本国において、聖人によって開顕された本門の法華経(題目)が西漸しなければならぬことを述べて結ばれる。
なお本抄は聖人の神祇観・本地垂迹百王思想等を知る上で重要な書である。 また日蓮聖人代受苦思想(定一八四七頁)もみのがせない。
《『遺文辞典』歴史篇「諫暁八幡抄」の項、『日蓮辞典』「諫暁抄」の項》

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