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本地垂迹

ほんじすいじゃく #3371

本地垂迹

ほんじすいじゃく

本地より迹を垂る」と読み、本地垂跡とも書く。
本地とは本体という意味で仏・菩薩の真実身、根本身を指し、垂迹とはそれらの仏・菩薩が人びとを救うために種々のすがたに身を示し、足迹を垂れることをいう。
この思想のよりどころとなったものは、法華経の本迹二門、ことに本門寿量品の久遠実成の釈尊を絶対仏とする六或示現の法門、及び『大日経』の本地加持説にあるといわれる。
教が日本に伝来すると、日本古来の神祇と教の諸・諸菩薩との習合が行われ、仏・菩薩本地と見なし、神祇を垂迹として両者の不二一体が説かれるようになった。
奈良代にはこの神習合思想の萠芽が見られ、平安時代末期には、ほとんどの神社の本地身が定められていたようである。
日蓮聖人の蒐集された『念仏者追放宣状事』の「山門の奏状」には「謹んで百神の本を討(たずぬる)に、諸仏の迹に非ざること無し。所謂(いわゆる)伊勢大神宮・八幡・加茂・日吉・春日等は皆是れ釈迦・薬師・弥陀・観音等の示現なり」(定二二六〇頁)とあって、当時の本地垂迹思想の一端をうかがうことができる。
日蓮聖人は『諫暁八幡抄』に、八幡大菩薩の本地について「本地は釈迦如来にして月氏国に出でては正直捨方便の法華経を説き給ひ、垂迹は日本国に生れては正直の頂にすみ給ふ」(定一八四九頁)と述べて本地垂迹思想の影響が見られる。
また『神御書』にもこの思想が顕著であるが、聖人の神祇観はあくまでも法華経の久遠実成釈尊を基として、その法華経守護の神祇という位置づけであってその逆ではない。
なお鎌倉末期より室町期にかけて神道の教義が形成されるに及び、神本仏迹という反本地垂迹説が唱えられるようになった。
これらの神習合は明治の神仏分離に至るまで続くことになるのである。
《『遺文辞典』教学篇「本地垂迹」の項、『日蓮辞典』「本地垂迹」の項》

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