百王
百王
ひゃくおう
(一)代々の王。
(二)百代の王。
百王という文字はふるく中国の書に見られ『佩文韻府』には一一もの援引がある。
日本においても最古の文献といわれる『古事記』の序に見え、その後の奈良朝、平安期に至っては、その用例は夥しいものがある。
中国における百王の意味内容は、おそらく儒教の政治倫理的規範にのっとって君臨する天子という観念であろう。
しかし、この百王という文字が日本に移入され使用されてくると、具体的な観念内容が一変した。
即ち『古事記』に見られるとおり高天原より天孫降臨以来、一系の皇統が続き、天神七代地神五代を経て、人王の第一神武天皇へと継承される日本の帝王を指す言葉となる。
つまり中国においては政治学的な規範意識が百王の概念を形成し、日本においては民族的な歴史意識が百王の語に投影されたといえるのである。
さて百王とは、もと代々の王を意味したが、百代の王に限るという考えが平安末期からあらわれて、鎌倉時代では天台座主慈円が『愚管抄』に「人代となりて神武天皇の御後百代と聞ゆる」と記し、しかもその百代も「すでにのこりすくなくは十四代になりにける」と歎いているのである。日蓮聖人も百王は百代に限定されるものという考えが見られ『神国王御書』に「人王は大体百代なるべきか」(定八七八頁)と記されている。
このような考え方に対して、一方では天照大神と八幡大菩薩がそれぞれ百王守護を誓ったという説が生じた。
天照大神の守護につては『吾妻鏡』(承久三年閏一〇月一〇日条)、『平家物語』巻一一に見え、八幡大菩薩の守護は『玉葉』(建久元年一一月九日条)、および日蓮聖人の『神国王御書』(定八九〇頁)、『三沢鈔』(定一四四九頁)、『諫暁八幡抄』(定一八四八)等にも見える。
このような現定数としての百を、きわまりなき「百」と解釈を加えたのが北畠親房の『神皇正統記』である。
親房は皇統の象徴である三種の神器の鏡に正直、玉に慈愛、剣に智恵の三徳を配して道徳的な意味ををこめたのである。
こうした百王思想の展開のなかで、日蓮聖人独自の考えを要約すると次のようになるであろう。
(1)百王を百代の王と解釈し、八三代以降ののこされた一八代は武家政権の中心となった関東の北条氏に移ったと見なされていること。
(2)京都から関東へ移行した原因は、後鳥羽院が悪法(真言密教)に帰依したことであり、関東の北条氏はその悪法を対治したことで、百王を継承し、なかでも北条義時が正直の人であること。
(3)八幡大菩薩の百王守護の誓いの対象は、正直の王百人である(定一八四八頁)。
この正直は日蓮聖人の強調されるところであり、鎌倉時代以降とりわけ強調された徳目でもある。
(4)その「正直」といえば、聖人は仏教経典中、法華経こそ「正直捨方便」の真実の経であると信解せられていた。
従って聖人にとって道徳的のみならず、宗教的な意味においても「正直」は不可欠な徳目であった。
しかも天照大神、八幡大菩薩はともに法華経の教主釈尊の垂迹であって、法華経、日本国の守護神として位置づけられている。
そのような関連のなかで、百王思想は日蓮聖人の法華経の世界観のなかに摂取され、位置づけがなされていったのである。
《山川智応『日蓮聖人と百王思想』、『遺文辞典』歴史篇「百王」の項、『広説仏教語大辞典』「百王」の項》