田中智学と国性文芸
田中智学と国性文芸
たなかちがくとこくせいぶんげい
近代の日蓮主義文芸運動は、日蓮主義の唱導者であり国柱会総裁として活躍した田中智学(一八六一-一九三九)を中核として展開された。
明治新政府下の神仏判然・廃仏毀釈により明治期の仏教界は防衛的な立場を固守せざるをえなかったが、その中で田中智学は明治一三年(一八八〇)に蓮華会を結成、同一七年には立正安国会を創立して在家主義による日蓮主義復興を積極的に推進し、日蓮聖人の四箇格言を説き宗門革命、祖道復古を鼓吹した。
この智学の活動は、演説、討論、出版等を通して組織的に展開され、大正三年(一九一四)の国柱会創立を基点に国家社会に対応し法華経による日本国体の開顕とそれに基づく世界統一の実現にむけられた。
こうした智学の社会的実践における重要な側面の一つとして国性文芸の運動が存在していた。
国性文芸とは、法華経の国体開顕論なかんずく日蓮聖人一代の人格、抱負を基軸とする日蓮主義の理想を、文芸を通して活現することによって国民の性情に感化させる点をめざすものであった。
国性文芸は、国性芸術とも称され、国性劇ないし国民劇と呼ぶ聖史劇・史劇・思想劇・舞踊劇・経典劇・殉教劇・楽(がく)劇等を中心に、舞楽(雅楽)・能楽・舞踊歌曲(長唄・端唄・小唄)・短劇舞踊・童謡・吟舞・浄瑠璃(義太夫)・能狂言等の多彩な分野に及んでいる。
これらの創作はいずれも智学自身の手になるものであり、聖史劇『佐渡』『社頭諫言』等を筆頭に、その作品数は枚挙にいとまがない。
智学の日蓮主義運動は、教学・布教両面にわたるが、個人の内面的深化に信仰教説が影響を与えるためには社会的感化力を国家・国民全体に持っていなければならないとする点に特徴があり、国性文芸は国体の精神・国性の本質を発揮させていくために不可欠なものとして明確に位置づけられていた。智学は、明治二五年・三二歳の時に長唄『法の船』唱歌『立正歌』を初めて作り、同三九年・四六歳の時より、機関誌『妙宗』百号記念として芸術伝道を開始した。
この折長唄『百代師子』『池上八景』『身延名所』常磐津『船守』『首途』、筑前琵琶『小松原』の新曲六種を創作し演奏せしめた。この芸術伝道の創唱は、大正四年の謡曲『後の羽衣』、琵琶歌『神宮奏上』を経て、やがて同一一年・六二歳の時に創立した国性文芸会の活動へと発展してゆく。
国性文芸会は、千葉県市川に設立され文芸会実演部員が智学の作品を演じた。
智学は、史劇『凱旋の義家』、思想劇『函谷関』『人形の家を出て』等の一般的な劇作のほか聖史劇『俎岩』を発表、殉教劇『畳屋太兵衛』等を上演した。
国性文芸会は春秋二季に演奏大会を開いた。
昭和七年(一九三二)三月、日比谷公会堂にて「国性芸術社会進出・発表宣言大演説会」を開き、日蓮聖人六五〇遠忌聖旨奉答と日中戦争下の国防思想鼓吹を目的に芸術運動の社会的展開を図り、国性文芸会の地方活動を強力におし進めた。史劇『大橋太郎』、聖史劇『元冦退治』を翌八年に創作、次いで同一三年一月には時局応援国性大会を開催して、戦時劇『護国の花』等戦時文芸八作品を上演し戦意高揚を図るに至るのである。
智学の国性文芸運動にとって重視すべきことは、文芸・思想界に多大な影響を与えた点である。
智学の指導・助言をうけた高山樗牛は日蓮聖人研究に傾注し、明治三〇年代の仏教復興、日蓮主義鼓吹の気運を社会的に高める一方の旗手となった。
坪内逍遙・中里介山・姉崎嘲風・笹川臨風・山崎紫紅・中村吉蔵・本山狄舟・宮沢賢治ら、智学と親交を結んで指導をうけ、あるいはその思想や実践から感化を蒙り、ないしは智学の作品を評価した文学者も多い。
特に国性文芸の影響は、皇族・軍人・思想家および歌舞伎役者に至るまで広がっていた。
このうち特筆すべき事がらは、智学の代表作、聖史劇『佐渡』が日蓮聖人降誕七〇〇年に際し新文芸協会再興とも関連して坪内逍遙の添言により東儀鉄笛から依頼されて執筆、上演されたことである。
大正一〇年二月・六一歳の智学は、『佐渡』七幕一一場を書き、三月に東京歌舞伎座で初演されて以来横浜・名古屋・大阪等にて上演、これを機縁に新文芸協会の加藤精一は独立して国民劇研究会を結成した。
智学は特別賛助員として、史劇『栗橋の静』を新作、「国民劇」第一回試演を国柱会館で行い、この脚本を上演した。
この国民劇は国性文芸会結成の土台ともなり、同時にこれは近代の日蓮聖人劇ならびに国性・国民劇活動における智学の大きな役割を示すものといえる事がらであった。
智学の国性文芸運動は、時代的・歴史的限定を持つとはいえ、「日蓮聖人と近代文学」の歩みのうえで最も中枢に位置しており、近代の日蓮聖人劇においても注目すべき劇作活動を展開した。
これは、日蓮主義活現の社会的実践としてなされたという特徴をも同時に具備しており、日蓮主義の布教、芸術演劇による信仰的感化をめざす文芸活動の原点を意味している。
こうして生み出された日蓮主義の国性文芸の創作(いずれも智学自身の手になるもの)は、聖史劇『佐渡』『社頭諫言』等を筆頭に、その作品数は枚挙にいとまがない。
《田中芳谷著『田中智学略伝』、田中香浦『田中智学』、「国性芸術とは何か」、『師子王全集』、『国性芸術内容概観』、山上ゝ泉『日本文学と法華経』、石川康明(教張)『日蓮と近代文学者たち』》