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中村吉蔵

なかむらきちぞう #322

中村吉蔵

なかむらきちぞう

(一八七七-一九四一)
劇作演劇学者、演出家
島根県津和野の生まれ。
号は春雨。
明治三〇年(一八九七)、高須梅渓(芳次郎)らとともに「浪花青年文学会」(のちに関西青年文学会)を結成、雑誌『よしあし草』を編集・創刊した。
同誌には河井酔茗や泉鏡花、永井荷風、与謝野晶子および山川智応らの文章を掲載した。
明治三二年に上京して東京専門学校に入り坪内逍遙、島村抱月、高山樗牛らに学んだ。
存学中に毎日新聞の懸賞小説に応募し、長篇『無花果(いちじく)』が当選、文壇入りした。
のち渡米して演劇を学び、イプセン劇を見てから演劇活動に取組みはじめ、『牧師の』を発表して社会劇に基づく写実的な新劇の上演を推進した。
「新社会劇団」を結成したのち、坪内逍遙、島村抱月らの「文芸協会」が上演する『人形の』の舞台監督を務め、ノラに扮した松井須磨子の人気とあいまって、その演出も一躍脚光をあび、新社会劇の想を実現させた。
「文芸協会」解散後、抱月と行動をともにして「芸術座」の舞台監督となり、また『サロメ』を翻訳して、須磨子の翻訳劇三大当り芸の一つを提供し演出した。
やがて創作劇に取組み、庶民の日常生活とその中での人的自覚を描写した。
『真人』『清盛と御前』を書き、抱月・須磨子の死後は史劇を中心とする作品を発表『井伊大老の死』は、市川佐団次一座や沢田正二郎の「新劇」で上演された代表作である。
昭和一六年(一九四一)に著わした『日本戯曲技巧論』は本格的な人形浄瑠璃と歌舞伎論を明らかにした大著であり、演劇学の成果として知られる。
昭和四年(一九二九)沢田正二郎の依頼をうけて戯曲『予言者日蓮』(近代社刊)を書き、一一月に本郷座で上演された。
《『史大辞典』一〇巻「中村吉蔵」の項》

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