妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日蓮(村上浪六作)

にちれん #3033

日蓮(村上浪六作)

にちれん

村上浪六(なみろく)の書いた日蓮聖人の伝記
明治四〇年(一九〇七)、平楽寺書店・民友社出版部より刊行。
教を国体に応用し民族に感化させた偉大な自覚者として日蓮聖人を取り上げた評伝で「日蓮一代の奮闘記」としてまとめたもの。
構成は、辻説法、名越の月・長谷の夜・立正安国論・松葉が谷の煙・伊豆の配所・故郷の空・小松原の剣・鎌倉の闇・竜口・佐渡が島・鎌倉の暁・身延の白雪・池上の夕陽の一四章から成っている。
末尾に日蓮年譜と立正安国論の内容を付している。
本書の特徴は「日蓮一代の奮闘記」を明らかにすることによって気力も精力もない薄志弱行に陥いっている当民に強烈な光輝を与える点を意図して書かれたところにある。
この姿勢から、旃陀羅が子が理想の権化となった日蓮聖人の人間超越の感応力を強調し、自信なく自覚なき民に適切な興奮剤を提供しようとした。
また、ね太い声で獅子吼の大音声を発して法を説き諫暁する「日蓮の雄偉壮烈」な姿を鮮やかに描写している点も大きな特徴である。
これは、勇ましさと熱っぽさを語ることによって仁侠の精神を鼓吹する作風の現れであると同に、何ものも恐れず一人敢然と立上る、燃える火のような日蓮聖人の片影を大衆小説風に描写したものである。
この作風は剛気とともにやさしさを持つ点を捉えることを重視し、そこから、涙の日蓮聖人像をも綴り「焔の如き日蓮また心弱く人間の子なり、めかり塩たく磯の苦屋に老たる母一人いかに在すらむかと思へば、人しれぬ涙に故郷のぞ懐し」(「故郷の」)と書いている。
大難にも死せざる金剛のごとき法華経の行者上行菩薩としての日蓮聖人が、はらはらと涙を流す熱涙熱血の多情漢であった風姿をうきぼりにした。
本書では他宗の教者と日蓮聖人との違いをあげ、次のように日蓮聖人の偉大なる自覚を称した。
すなわち、
(1)日蓮は紫衣、金襴の袈裟を着、僧位の高さにのぼることなく赤裸々をもって幕府に反抗した。
(2)世をのがれず市に出て叫び、を憂い世を叱した。
(3)脚下に極楽をよびおこして仏法世法の人に導いた。
(4)想的なではなく身をもって現在のことを説いた。
(5)厭世的悲観主義ではなく進取的な楽主義を宿していた。
(6)敵に向って法を説いた。
(7)平民的で男的であった。
(8)堂の内ではなくに向って活気にみちた法鼓を鳴らした。
(9)逆化折伏の向上を唯一の任務とした。
(10)断なき死生の境にいながら古今比類なき執筆著作を多くもった。義文章は平易で、その内容は幽玄深遠である。
(11)他動的でなく自動的に布教した。
(12)日蓮の格は地下に萎縮するのではなく大空に飛躍し理想の権化となり、宇宙絶対の霊格に出現せる釈迦牟尼と一致した。
浪六は、以上の諸点を指摘し日蓮聖人親鸞とともに代に要求されて古い殻を破って新しい革命気分を帯びつつ民衆の力強き味方となった想的自覚者であることを語った。
更に千分の一を学べば千分の日蓮を得られるとも述べ、「努力奮励して不惜身命を期すならば、生ける日蓮は必ずわが前に来たるべし。日蓮は六百年前の化石物ではない」(序)と主張することによって、日蓮聖人を再生せしめていく根本的姿勢を提示した。
《石川康明「村上浪六」『日蓮と近代文学者たち』》

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