不動明王【教学】
不動明王【教学】
ふどうみょうおう
梵名阿遮羅(Acala)。
不動金剛明王・不動尊・無動尊とも称す。
五大明王・八大明王の一つで諸明王の主尊。
真言宗の本尊。
即ち大日如来の教命を受け、忿怒の相を示現し、火生三昧に住して諸々のけがれを焼き、自ら動揺せずして(不動)一切の魔障を降伏し、仏道修行者を擁護し菩提を成ぜしめるという明王。
その形像は一般に忿怒相、右手に煩悩の魔障を断ち切る利剣、左手に自在の方便を示す羂索を持ち、火焔を背にする。
多くは磐石座に坐した童子形(童僕となって給仕するの意から)。
『大日経疏』などに詳しく説明されている。
大日如来は法身仏で完全円満な位にあり、すべての諸尊の本体とされる。
これを自性輪身(じしようりんじん)という。
ところが迷える衆生は大日を見ることもできず、その教えに耳を傾けようともしない。
そこで大日法身は自ら姿を変え怒りの相をもって出現する。
これを教令輪身(きようりようりんじん)という。
明王とはこの教令輪身のことなのである。
不動明王は不動使者とも呼ばれ、大日の命令を受けて出現するのであるが、実は大日そのもので大日の教令輪身であり、明王を代表するのである。
そこで古来より『大日経』を根本聖典とする真言密教ではこの不動信仰が盛んで、日本では空海以後真言密教が流布すると共に、日本全国に伝えられた。
天台密教でも盛んにこれを取入れたのである。
この不動明王を本尊として息災延命などを祈願するのを「不動明王法」といい、密教の代表的な祈祷法である。
日蓮聖人ご在世当時も朝廷が真言寺院に命じていたようで、聖人はこれを激しく批判している。
『祈祷鈔』の中で、承久の変の時、朝廷が幕府調伏のため、不動明王法などの十五壇の秘法を修したが、その結果は三上皇が遠島になるというみじめな結果をもたらしたことを述べ「かかる大悪法、年を経て漸漸に関東に落ち下りて、諸堂の別当供僧となり連連と之を行う」(定六八三頁)と真言の邪義が国を亡す事実を指摘している。
『法華真言勝劣事』には、一念三千の義のない真言の不動・愛染の降伏の形は、外道の法に等しいと難じている(定三〇九頁)。
聖人は建長六年(一二五四)に、生身の不動明王・愛染明王を感見して、それを図している(『不動・愛染感見記』)が、この時代は真言附順の、いわば真言研究時代で、これをもって聖人が不動・愛染信仰をもっていたと断ずるのは危険である。
また十界の大曼荼羅の左右の梵字が、古来から不動・愛染の種字とされ、密教的な解釈がなされてきたが、確実な遺文に論証はなく、むしろ大曼荼羅の本質を表すために梵字本来の意義を用いて荘厳したと考えられるのではないか。
不動・愛染は法華経信仰からは所破の対象であり、たとえ真言開会のために取入れたとしても、既にその不動・愛染は真言の明王とは質的に違っていなければならない。
日蓮聖人の信仰は法華の純粋信仰であり、法華経に説かれていない不純な夾雑物を一切廃したところに真面目がある。
不動明王が真言密教の本尊であるかぎり、日蓮聖人の門下は正法流布のために破折しなければならないはずである。
《『遺文辞典』歴史篇「不動明王」「不動・愛染感見記」の項、『日蓮辞典』『広説仏教語大辞典』『新版仏教学辞典』『岩波仏教辞典』『図説仏教語大辞典』「不動明王」の項、神奈川県立歴史博物館編『鎌倉の日蓮聖人 中世人の信仰世界』》