経釈秘抄要文
経釈秘抄要文
きょうしゃくひしょうようもん
弁阿闍梨日昭(一二二〇-一三二一)著。
『宗全』一巻「上聖部」一-七頁。
編者の註記によれば、府下堀之内宗延寺・永井日虔氏所蔵の写本によるとされる。
本書は正応元年(一二八八)九月二八日、日昭が法主聖人(日蓮聖人)第七回忌報恩のために著作したものとされる。
本書について望月歓厚『日蓮宗学説史』は日昭門流の教学を窺うべき唯一の書とし、体系的に標目をかかげて経文及び釈の文を引き、最後に身心利益の結誡文を収載しているというように評価しているのに対し、執行海秀『日蓮宗教学史』では、本書は法華経の超勝と、法華経に対する信謗の得失とを経・釈から抜萃したもので、宗義を論究したものでないとし、ただわずかにその末文に、信心の強弱によって得益に上中下あることを述べた点が注目されるにすぎないとしている。
しかし、このような経・釈の抜萃と列挙という叙述形式は、日蓮聖人入滅直後の教義伝承の方法としてとられた一方法であると考えられる。
例えば中山三世浄行日祐『当家法門目安』などが共通する面をもっており、更にいえば、聖人から門下への「一代五時図」の伝承、日向『金綱集』(『宗全』一三、一四巻)の編述、日法『日蓮聖人御法門聴聞分集』(『宗全』一巻)の記述などがその基礎となるものであろう。
本書は論述という形式はとっていないが、一九項目の文証列挙ということで、一つの体系を示していることは事実であり、かえってそのことに注意をはらわなければならないと思われる。
順序に従って項目を挙げると、(1)法華経が諸経に勝れたること、(2)余経は虚妄の説で不成仏の法であること、(3)法華経は真実の説であり、成仏の法であり、易行であること、(4)余経を捨てて法華経ばかりを持つべきこと、(5)法華経を信ぜず誹謗する者は悪道に堕し悪果を感じ、また法華経の行者を毀る者は罪業を得ること、(6)法華経を信じる者は悪道に堕せず善果を感じ、法華経の行者を讃歎する功徳も大であること、(7)法華経を持つ者を諸仏・菩薩・諸神が守護すること、(8)諸仏菩薩等を供養するよりも法華経の一偈一句を受持する福が勝れていること、(9)法華経の一念信解の功徳は余経の五波羅蜜の行に勝れ、法華経聴聞の五十展転随喜の功徳は八十年の布施に勝れていること、(10)法華経を持つ者は諸仏が讃歎し、おのずから三学を具すること、(11)法華経は諸仏の秘密の法であること、(12)法華経は末法相応の法であり、日本国に相応すること、(13)釈尊のみがこの世界の教主であり、主師親三徳をそなえた有縁の仏であり、あらゆる存在の本地であること、(14)阿弥陀仏は他方の仏であって娑婆世界の衆生と無縁であること、(15)阿弥陀仏も法華経を楽(ねが)って得道したこと、(16)法華経を修行する女人は弥陀の浄土へも往生すること、(17)文殊・観音・地蔵等の迹化・他方の菩薩はこの世界の、また末法の導師にはなれない、本化上行等の菩薩のみが末法相応の導師であって、しかも此土・他土を通じて利益すること、(18)外道・仙術の法ならびに余経の功力によって種種の神通を現ずることは困難でないが、法華経の五種の妙行を行うことは困難であること、(19)法華経は衆生の苦を抜き楽を与える現当(二世)所願満足の経であること。
この一九の経文引用に次いで「夫れ妙法蓮華経とは色心清浄の良薬なり」といい、病に八万四千の心の病と四百四病の身の病とがあるが、いずれも題目の功徳によって平癒し、身は法報応の三身如来となり、心は空仮中の三諦法性と開くとする。
即ち題目は薬、信心は養性であるとして、信心堅固をすすめる。
ここに集録された経文は諸遺文にしばしば引用されるものであり、項目はその解釈をテーマとしたものと見ることができよう。
《望月歓厚『日蓮宗学説史』、渡辺宝陽「日蓮聖人門弟の教学継承」『日蓮宗信行論の研究』》